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今から26年前の1996年. SPROCKET WHEELの企画LIVE CLEAN STAY YOUNGで初めてスプロケと一緒にライブをやらせてもらった。ライブまでにSTUPID PLOTSのことをみんなに知ってもらおうと事前にデモテープをずっと売ってくれていた。初対面はそのライブの前日で下北沢シェルターの前。そこで配るためにライブのフライヤーをたくさん持って来ていたことを覚えている。思えばその時からDIYで地道な活動をしているスプロケのことを信頼しリスペクトしている。スプロケには、真似たり狙ったりするわけではないからこそ生まれるオリジナリティーと心に響いてくるなんともいえない魅力が溢れている。メンバーそれぞれの感性が奇跡的なバランスで繋がって偶然のような必然がもたらした唯一無二のバンドだ。もともとは希望していなかった上京とそのきっかけになった東京の専門学校がその後広がって行く人生の大切な経験や出会いの始まりになったと語るスエさんは、今もまだ枠も完成図もないパズルのピースを集めながらながら予期もしない完成のデザインをメンバーと共に描き続けている。スプロケに欠かせないスピード感と独特な空気感の土台を絶妙に支えているドラムのスエさんに当時のことなどいろいろ話してもらった。

( TEXT : Shogo Yamaguchi (ROADSIDE RECORDS . STUPID PLOTS )  2022 )

Q : Shogo Yamaguchi ( ROADSIDE RECORDS / STUPID PLOTS )

A : Atsushi Suehiro ( SPROCKET WHEEL)

(Interview date: May  2022 )

 

Q1. 自己紹介をよろしくお願いします。

A. スプロケ(SPROCKET WHEEL)でドラムを叩いている末廣です。

 

Q2. コロナの状況も長引いてきました。この間バンド活動やプライベートどのように過ごしてきましたか?

A. リキ(スプロケ/ギター)が東京を離れるってことはコロナになるだいぶ前から決まってたの。

それからコロナになってリキのお別れ会的な事も出来ないでそのまま3月ぐらいには行っちゃって。

当初はリキが向こうに行っても1年に一回でもライブがあったら東京にきてライブやりつつ何日か滞在して、みたいなそんな予定だったんだけどさ。それも決まってたライブも全部飛んじゃったんだよね。

こっちの3人もそれぞれなんだかんだあってコロナの最初ころはしばらくスタジオもそうそう入れなかったよね。

あと俺仕事が弁当屋でさ、店がオフィス街だから当初リモートリモートでオフィス街に人がいなくなって、ちょっとバンドどころじゃねーなってぐらいホント大変だったよね。

ライブハウスも今まで通りになるのは難しいのかもしれないけど俺たちがライブハウスでライブをやらないという事は絶対ない事だと思うよ。

 

Q3. スプロケ結成30周年おめでとうございます!スプロケがスタートした30年前のバンド結成のことや始めた初期の頃の思い出やエピソードなど教えて下さい。

A. スプロケ結成の頃の話はマル(スプロケ/ギター&ヴォーカル)がインタビューで話してるし今スプロケのウィキペディアもあるからオレからみたメンバーの第一印象とかエピソードを話すよ。

オレ上京して東洋美術学校ってとこ行ってたんだけどね、初日教室のドアをカチャって開けて入って行ったら、くわっ!ってもう凄い視線のハンチング被ったデカいやつが一番前のど真ん中に座ってたの。自由に好きな席に座っていいのにスゲー熱いヤツだなぁって思ってさ(笑)それがマルだったの。

オレは一番後ろに座るタイプだから普通に一番後ろに座ってみてたんだけどね。すげーやついるなーって(笑)

どっちから話しかけたかは忘れちゃったけど、あいつ気がついたら俺の前に座っててバンドのはなしとかいろいろ話して次の日にはもう友達になってたね。で、会って1週間経たないうちにバンド組もうってことになってさ。

その時すでにマルが考えてたたいそうなビジョンを話してくれたんだよね。

それでまずは学校の中で文化祭に出るためのバンドを組んだのね。そのバンドは文化祭だけで終わっちゃって、それでマルとホントに組もうかってなった時にマルが「オレベースの友達連れてくるよ」って話になったの。

オレら学校のやつらで集まって金曜の夜に新宿中央公園で当時よく飲み会をやってたのね。で、花見かなんかで結構たくさんの人数で飲んでた時にマルが「友達呼んでいい?」って言って電話して呼んだんだけどさ、

そしたらさ、公園のちょっと木が生い茂ったようなところの、ずーっと向こうの暗闇の方からギターの音と歌が聞こえてきてさ、それがだんだんだんだん近づいてくるの。そしたらジーパンをぶつ切りにしたような短パンにサンダルのやつがギターを弾きながら歌って登場して、知らない俺たちに向かってコール&レスポンスみたいのことをするわけよ(笑)

うわーポップでキャッチーな子来ちゃったなーって思ったよね(笑)

それが下山(スプロケ/ベース&ヴォーカル)との初対面(笑)

で、マルから「これが話していた下山」って紹介されたのね。こいつかー!ノリもいいしすげー良いなー!って思ったよね。

最初からオレのくだらない話とかにもいちいち乗ってくれるようなヤツだったから、なんか合うなーっていう感じだったし。

リッキーはマルと下山が最初会いに行ったからさ、オレはスタジオで合流した時に始めて会ったのね。

南台の中野公民館のスタジオでさ、お互い「あ、どうも」「あ、どうも」しか言えない感じでさ(笑)

なんか偏見じゃないけどロンドンナイトのDJって聞いてたからちょっとパリピ的な感じがちょっとあったりすんのかなーなんて勝手に想像してたんだけど、すごい寡黙で真面目そうなイケメンでさ、彼もいいねーっていう第一印象っだったよね。

いつだったか知り合った頃リッキーが夜勤明けかなんかでオレの家に急に遊びに来たことがあったのね。

その頃オレだけ遠くに住んでて、埼玉だったんだけど。

で、オレが大事にしていたキムチと食べようと思っていたごはんを全部食べちゃったの(笑)

その後高い天井にある窓をみて「あそこに人がいて覗いてたらどうする」とか気味悪いこと言って怖がらせておいて夜勤明けだからひとりでコロっと寝ちゃってさ(笑)

今思い出してもなんであの時遊びに来たのかなーって不思議なんだけど(笑)きっとコミュニケーションとろうとわざわざ夜勤明けに遠くまで来てくれたんだろうなって思うよね。

こんな感じでメンバーと出会ってスプロケが始ったんだよね。

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Q4. 90年代初期当時のシーンは後のメロディックポップパンクシーンに繋がっていく重要な時代だったと思います。その頃のエピソードや思い出ありましたら教えて下さい。

A. オレらがスプロケ始めた頃このスタイルのバンドって日本にいねーだろうなって勝手に思っていて、東洋美術学校の文化祭に2年目はスプロケで出たの。(1年目は文化祭用に組んだバンドで参加)

後にGIG-ANTICになるSOUNDFORUMってライブハウスだったんだけどその時の照明係かなんかをやってたのがSHERBETの片山さんだったのね。

俺らのライブはボロボロだったんだけど終わってから片山さんが声を掛けてきてくれて「SHERBETってバンドやってるんだけど今度、横浜の24でライブやらない?」みたいな感じ誘ってくれたのね。

それで横浜行ってみたらカッコいいメロディックバンドがたくさんいてさSHERBET, OATMEAL, レオナ(ex-HUSKING BEE/ドラム)がドラムだったCAPTAIN HEDGE HOG, GREEN GIANT とかもいてさ。同じような影響を受けたカッコいいバンドがスゲーいるじゃん!ってそうやって横浜勢に出会ってその辺と絡むようになったんだよね。

同じくらいの時期にスナッフィー(snuffy smile)から声がかかってそれぞれで活動してたBLEW, MIDDISHADE, LOVEMENもNot Superstitiousで一緒になって初めて知り合ってさ。

そのころライブハウスは1つ上の世代のハイスタ(HI-STANDARD)とかコークヘッド(COKEHEAD HIPSTERS)とかSLIME FISHER, GOD’S GUTS, NAILS OF HAWAIIAN, MILK COWとかがシェルターなんかで盛り上がっててすごい動員があったんだけど、オレ達もどんどんライブをやるようになってそこからシーンが盛り上がっていったのはすごい感じるよね。

その後なんかSHERBET, HUSKING BEE, SPROCKET WHEELなんてちょっと言われてたような感じもあったかもしれないんだけど、周りが盛り上がっていくんだけどオレ達は逆にどんどん地下に入っていった感じだったんだよね。

なんかその盛り上がりにちょっと違和感みたいなものを感じちゃってね。

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Q5. 1997年のアメリカツアーについて思い出やエピソード、いきさつなど教えて下さい。

A. アメリカのSTINKの来日ツアーをウォーター(WATERCLOSET)でサポートしてその流れでウォーターとディスガス(DISGUSTEENS)のアメリカツアーに繋がった感じだね。

向こうで一緒にやったバンドはMR T EXPERIENCE, THE QUEERS, J-CHURCH, TILT WHEEL, AUTOMATICS, あとエピタフから出てたZEKEとか。14日間滞在して10本ぐらいライブをやったんだよね。

最初ロスについてCOOL GUY RECORDSのダニーに「今日MR T EXPERIENCE とTHE QUEERSのライブがあるんだけど飛び入りで出ない?」って言われてさ。予定になかったんだけど急遽やることになって、オレ達時差ぼけバリバリのなか行ってさ、久しぶりにDrフランク(MR T EXPERIENCE/ギター&ヴォーカル)に会えて「わー久しぶりー!」みたいなね。

そしたらその会場が結構でかくてさ、MR T のドラムセットがステージの一段高いところに組んであるみたいな感じで。

オレ達はドラムセットを借りてその前の一段低いところに組んでもらったんだけど、それがさシンバルがなかったの(笑)ジャーンができなくて代わりにタムでドンみたいな感じでさ、ホント大変だったよ。シンバルがないライブって初めてだったわ(笑)

あと、ツアーの移動はずっとバンに乗って行くんだけど、ある時オレがドア側の端っこにすわっててとなりにGI(DISGUSTEENS/ギター)が座ってたのね、そしたら「スエちゃんもうちょっとそっち詰めれるかな?」って言ってきてさ、「ゴメン、もうギリギリなんだわ」って答えたらなんかイライラしててさ(笑)なんか荷物を取るふりしてオレとドアの隙間にサッと手を入れてオレとドアの間にスペースがないか確認しやがってさ(笑)もうね、このことは日本に帰ってからみんなの前で言ってやったよ(笑)

国内ツアーはその場その場でいろんな友達にあったり変化があるから全然いいんだけどアメリカツアーのときは全く知らない環境で14日間一緒のメンバーでいるからやっぱり疲れてくるしギクシャクまではないけどイライラしちゃったりもあるよね(笑)まぁケンカになったりってことはなかったけどね。

体調なんかはみんな全然平気だったし、ライブやって後はいつもみんなで飲んでパーティーみたいな感じでホント楽しかった印象しかないね。オレにとってはなんか夢のような二週間だったね。

 

Q6. スプロケ解散からWATERCLOSET結成~脱退。そしててスプロケ再始動など当時のことを聞かせてください。

A. スプロケが解散してウォーターを結成して1stと2ndはスプロケと同じでもちろん自分達のSwept Recordsでリリースしたんだけど、2ndの時はアートワークだったり流通だったり全てにおいてかなり気合入れてやったの。周りの友達の力を借りながらホント全部自分達でやったんだよね。

で、次3rdってなった時に2ndで自分達でやれることをやり切った感もあって次は第三者の力を借りてみようかって話になったのね。

それで、ハイスタ(HI-STANDARD)はもちろんスタッフも知ってるやつがいたし一番信頼できるピザ(PIZZA OF DEATH)からのリリースになったの。オレはウォーターはそのピザからの3rdが最後になるんだけどね。

ちょうどその頃プライベートの方で気持がグシャグシャになってたの。そろそろ子どもを、とか家庭のこととかいろいろ考えてさ。オレその当時まだフリーターだったからね。オレ2つ3つのことを同時に同じベクトルで出来ないのよ。それでバンドで食ってるわけじゃないけどバンド中心の生活みたいな感じでなんか漠然とやってきてて。やっぱり年齢的な事もあってそろそろきちんとしないとって思うようになってたのね。

で、ピザの大きなツアーが終わって次のビジョンを話し合うミーティングの時に次に向けての気持ちとモチベーションが下がっていたオレと一番熱かったエツシがぶつかっちゃってケンカになっちゃってさ。それで結局オレはウォーターを抜けたの。

ウォーター抜けた後はバンドはもうホントなーんもやってなくて。飲食の方(仕事)にどっぷり入っちゃったから。そこからは修業時代みたいな感じだったよね。

なんもやってなかった時期に知人の結婚式のパーティーでスプロケやってくれない?って話があって、再結成って訳じゃなかったんだけど「じゃぁやろうか」ってなったのが解散後初だったかな。

そのあと2007年ぐらいだと思うんだけどGIG-ANTICでなんでやったのか忘れちゃったんだけどスプロケでワンマンやったんだよね。

そのあと別にコンスタントにやってたわけじゃなくてまた数年後にまたライブに誘われて2か月前ぐらいから練習始めて、みたいなのを何回か繰り返してさ。だから常にドラムセットに座るのが久しぶりなのよ(笑)

そんな感じで再結成っていっても1年に一回でも出来れば、ぐらいの感じだったの。

それこそSTUPID PLOTSと一緒にやったLIVE CLEAN (STAY YOUG Vol.20 / 2017) だけだよね、自分達で組んだのって。

それが2018年のモリヤスナイトに出たあたりですごく手応えのあるいいライブが出来て、オレはその辺からもうちょっとしっかりやりたいって思うようになったのね。

なんかオレはね、やっぱりせっかくだからもう一回、1曲でいいからこのメンバーで新曲とかやりてーなぁって思ってったのよ、ずっと。

だけどちょうどモリヤスナイトのすぐ後くらいに膀胱癌が発覚してさ。

これドラムどころじゃねーのかな。。。ってなって。ホントまじか。。。って思ったね。

それから1週間入院したんだけど意外と体のダメージがなくて、なんとかこうやってバンドは出来たわけなんだけどね。

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Q7. スプロケ再始動から8年今年は30周年を迎えて新音源の話も出ていますね!新曲について、またこれまでの想いなど聞かせて下さい。

A. コロナが始りだした2020年の2月ごろだったと思うんだけどなんかのきっかけでマルと一緒に下山がやってるギョ・ビリーズのライブに行ったことがあったのね。

そん時にマルが「再来年がスプロケ30周年なんだよね」って。で、「実は新曲作ってあるんだけどやんない?」って言ってきたの。

もうね、キター!って思った。オレもスプロケで新曲ほんと1曲でもいいからやりたいって思ってたって話したの。

解散後初めてだったのよ、新曲について話したのなんて。

下山とリキはどう思うかなぁって思ったんだけど、結局なんとなくなし崩し的にスタジオでマルが持ってきた新曲もやり出したらさ、意外とこれがいい感じにはまりだしちゃってさ。

そしたらなんか最近下山まで新曲を作ってきちゃってさ。それはホントに嬉しかったね。なんかこの感じ久しぶりだなぁって。

まぁいつ出来るかは分かんないけど楽しみに待っててほしいね。ホントいい曲だからさ。
ウォーターから抜けてバンドをやっていない時期って仕事とかプライベートでそれなりに忙しかったんだけどなんか物足りないって言うか、なんか覇気がないっつーかね。そん時やっぱりバンドをやってる自分が素敵なんだなって思ったんだよね。

ずっとバンドやってるとさ家族や仕事の事とかで、突っ走ってきたものを一度見直す時って結構みんなあるんじゃないかと思うの。

もちろんそのままいける人もいるだろうしやり続けてる人はスゲーって思うしリスペクトしてるけど、一回離れてみるのもいいんじゃないかなと思うんだよね。

スプロケの解散ライブのときには「あぁこれでもうスプロケは終わるんだな、、、」って思ったし、ウォーターを抜ける最後のライブの時には「これでもうオレはバンドをやることはなくなるんだな、、、」って思ったのね。

だけどさ面白いもんでそこから何年もたって経ってまたこうやってスプロケをやれてるっていうね。

人生何があるか分からないもんだよ。

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Q8. SPROCKET WHEEL~WATERCLOSETでドラムは曲調的(リズム・テンポ)に大きく変わっていますが大変だったこと意識したことやエピソードまたドラムを始めたきっかけなど教えて下さい。

A. ドラムを始めたきっかけは姉貴の彼氏がラフィンのコピーバンドやっててドラマーだったの。その影響もあってバンドやるならドラムかなぁってちょっと思ってて。

で、初めて高校でバンドを組むってなった時にだいたいドラムってやりたいって人あんまいないじゃん。で、オレドラムやるわってなったのね。

高校の時はラフィンのコピーとか初期パンとかだったしその頃って2ビートのメロディックっていうのがまだなかったから、スプロケやるようになって速いのをやるようになったんだけど最初はこれどうやってんの?って感じでさ。リキが「よく聴いたらこれバスドラ2つ入ってんだよねー」とか言ってて、ホントこれどうやってんのよ?って感じだったの(笑)

SNUFFとNOFXって速いビートでもタイプが違ってオレはどちらかというとSNUFF系の4ビートをどんどん速くした感じの叩き方をごまかしごまかしやってたのね(笑)

ハイハットは全部入れれるように手首は練習して入れるようにしたけど、っていうかオレ今まだに2ビート叩けないからね(笑)

で、そろそろ何とかしなきゃなって思ってたんだけどちょうどそんなころからスプロケ自体が速い曲をやらなくなったのね。

ライブでも後半の方は初期の速い曲をやってなかったの。

そこから速い曲をやる機会がなくなっていって、スプロケからウォーターになったらあのリズムじゃん。

だから俺からすればやりやすくなったし、4ビート、8ビートでいろいろ広げられて楽しかったよね。

まぁ単純にオレが2ビートが苦手ってだけなんだけど(笑)

今は2ビートのメロディックは定着してアレをパンクビートって言うらしいしね。だから今の若い人は最初からあれをやるわけじゃない、大変だけどそりゃうまくなるよなぁって思うよね。

オレはドラムのおかずとかタイミングもハチャメチャだしもっと上手い人がドラムだったらスプロケはもっとカチッとしたバンドになったのかもしれないけど、スプロケらしさって狙って出来るものでもないからさ。

なんでこうなるのかオレ達も分かんないんだから(笑)

まぁ今の4人でよかったよね。

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Q9. スエさんのCDジャケットやフライヤーのデザインも最高です!デザインをするようになったきっかけやいきさつ他アートワークについてのエピソードなど教えて下さい。

A. 最初のデモテープのデザインはマルだったね。

オレは1st の AROUD MY FEET が最初だね。あれは下山がオレに書きなよみたいな感じで始ったんだけど、それで描いてみた案というか落書きというかラフの段階の絵を下山が勝手に版出して仕上げちゃったのよ(笑)

ジャケット見てもらったらわかると思うんだけど「AROUD MY FEET」ってベッドのところに勝手に文字付け足しやがってさー(笑)しかもその文字がもうひどいのよ(笑)あとその絵の中のベッドの上のレコードジャケットに「MENATWORK」って書いてあるんだけど、コレは栄森さん(SNUFFY SMILE)だけがツッコんでくれたから。

その後の2nd JUST LIKE YOUもオレが描いたんだけどあれは割とカチッとしてたね。

その後はオレは描いてなくてスナッフィーのGOOPER PATOROLとのスプリットのデザイン案はマルでそこに写ってる人形は確かマルがアメリカで買い付けてきたものだったね。

LESS THAN JAKEとのスプリットの絵は下山で、アメリカリリースのCDも下山だね。

次にオレが描いたのはウォーターの1st TIME IS COOLであれはまたちょっと気合を入れて心機一転カラーになってるんだけど、オレが絵を描いて、友達の家に行ってその人にパソコンで色をやってもらって仕上げたんだよね。

次のAGAIN & AGAINはオレが描いたんじゃなくて東洋美術学校の友達でデザインとかやってるマサキングってやつがいるんだけど、そいつと一緒に作ったんだよね。感じを伝えて絵に起こしてもらうっていう感じで。

ブックレットの曲ごとの挿絵は作詞したやつそれぞれにイメージを聞いて俺がまとめて彼に伝えて、最終的に彼に仕上げてもらったのね。もうあれは俺には出来ないレベルだったから。

もともとデザインはオレが絶対やるとかそんなんじゃなくて下山が「スエやってよ」から始ってたまたまそのままやるようになった感じだね。

【1st CD AROUND MY FEET 】

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【US Release CD 】

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【2nd CD JUST LIKE YOU 】

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【WC / Time is Cool 】

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【split 7"  w/GOOBER PATROL】

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【WC / Again & Again】

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【split 7"  w/LESS THAN JAKE】

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【DEMO TAPE 】

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Q10. 初めてバンドを組んだのはいつごろでどんなバンドでしたか?またスプロケ以前にやっていたバンドがあればを教えて下さい。

A. 高校の時に初めてバンド組んでラフィンなんかのコピーをやってたね。

その後は上京してから東洋美術学校で文化祭のためにマルと最初に組んだ「モンキーパンチャーズ」ってガレージパンク寄りのバンドだったね。

その時のベースのレイジ君っていうのは今は「a sox」っていうバンドをやってるんだけどオレが凄い影響を受けた人なの。

歳が2コ上なんだけど田舎から出てきたオレにはすごいバイブルなような人だったから。

となりのクラスだったんだけど学校のホールとかで似たような感じの人ってやっぱり自然に集まっちゃうの。小さな学校だったからどうしてもね。その中でもホントいろんなこと教えてもらったねあの人には。

なんとなく仲良くなってバンドの話になって誰から言い出したのか忘れちゃったんだけど「じゃ文化祭出ようか」みたいな話になって始ったんだよね。

そのバンドはやる曲とかもレイジ君主体だったんだよね。そのバンドは文化祭だけで終わっちゃったんだけどね。

【モンキーパンチャーズ】

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Q11. スプロケを始めた頃(orバンドをやり始めた頃)夢や目標はありましたか?個人またバンドとしてはどうですか?

A. バンドはオレにとって日常の中のひとつで何を目標でやってるとかは別になかったね。

一度バンドから離れた時期最初は時間的なこととか正直ちょっと楽になったなって部分もあったんだけどすぐに物足りなくなったというかね、何にもなくても日常は日々流れていくしね。

それで久しぶりにスプロケでスタジオに入ったときはやっぱり楽しいなぁって思ったんだよね。

バンドをやってこうなりたいとかっていうものは別になくてやっぱりオレはただ楽しいからやってるってことなんだよね。

スプロケっていうのは、特に最近なんかはマルが引っ張ってると思うのね。

シモにはシモのリキにはリキの想いがあって、でもマルのスプロケへの想いは本当に凄まじいと思う。

そのマルは初めて会った時から今もずっと夢とかビジョンを持ってるんだよね。あいつは常にドリーマーだからさ(笑)

いつもあいつの頭の中にはでっかいビジョンがあるんだよ。

でね、あいつの有言実行っつーのはホントすごいから。オレにはそういうところがないからホントすげーって思うよね。

今でも夢のことをあんだけ熱く言ってるんだからオレの個人の夢っていうよりマルの夢を叶えたいなって思うよね。

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Q12. 人生においての重要な5曲(またはバンド、音源単位でも)を教えて下さい。その曲についての思い出やエピソードも教えて下さい。

A. 最初は小学生のころ横浜銀蝿が大好きで初めて買ったレコードが「仏恥義理サード」だったんだよね。

そのあと洋楽ブームが来てCULTURE CLUBとかDAVID BOWIEのModern LoveとかPOLICEのSynchronicityとかあの辺が好きだったね。

当時渋谷陽一のラジオ番組があってそれで年間を振り返るみたいのがあってさ、それをカセットテープに録音して聴いたりしてたんだけどその時にはU2とかQUEENとかAZTEC CAMER, MEN AT WORK, ROMAN HOLLIDAY なんかがあったね。

自分で曲順のインデックスとか作ったりしてたんだけど耳コピだからU2を「ゆうつ」って書いたりしてさ(笑)

あと日本のバンドだとスターリンとかルースターズとが流れてたね。小学生時代はこんな感じかな。

一番オレを変えたのはやっぱり中学時代のラフィン(LAUGHIN' NOSE)とポゴ(THE POGO)だね。これは姉貴の当時の彼氏がその辺のレアなソノシートとか持ってて聴かせてもらったりしてさ。

ラフィンは音楽もルックスも全てにやられてガーンって来ちゃったんだよね。

あとは自分を変えられた影響で言うと音楽じゃないんだけど雑誌「宝島」なんだよね。

中学生の時なんだけど本屋にアップル通信(エロ本)を買いに行った時レジが混んでたから隙を見て買おうとチャンスを伺ってたんだけど(笑)その時にたまたま宝島の表紙が目に留まってさ、ラフィンノーズって文字が見えてヒッピーとかニコちゃん(スマイル)マークとかあって「わっなんだこれ」ってなってちょっと中身を見てみたらなんかうまく言えないけど自分の求めてたもの全てが詰まってる気がしてさ。

いわゆるサブカルチャー的な物だったんだけど、そこから宝島で一気に世界が広がって中学の時に自分のすべてを変えられたよね。

その流れでパンクも勉強し始めてSEX PISTOLS, THE CLASH, RAMONESとかどんどん知っていく中で大きな影響を与えてくれたPOGUESにたどり着いたんだよね。

そこから音楽の幅がどんどん広がってワールドミュージックとかエレクトロニック的なものとかハウスとかも聴くようになっていったんだよね。

上京して最初に買ったのはノラ・ジョーンズのお父さんのラヴィ・シャンカルっていうインドのシタール奏者のCDね(笑)

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Q13. これまでに観たライブで特に印象深いライブを教えて下さい。思い出やエピソードなど教えて下さい。

A. 初めて観たライブは中学生のときに見た佐野元春なんだよね。部活をさぼって友達と行ったの。

凄い印象に残ってるのは高校の時に行ったスライダース(THE STREET SLIDERS)のライブなんだよね。

スライダースすごい好きだったんだけど周りの仲間内で好きなやつがいなかったの。でもどうしても行きたくて一人で行ったんだよね。

山形って会場が二階席まである大きいホールか小さなライブハウスしかなくてさ、その時は大きい方の山形県民会館だったの。

当日会場の中入ったら全然人が少なくて、始るまでに人来んのかなーって思ってたんだけど結局全然来なくて前4列ぐらいに飛び飛びにいるぐらいだしこれ中止になるんじゃねーのかなぁなんて思っててさ。

で、時間になったら暗くなってスライダースが出てきたの。

でも20人ぐらいの客相手にテレビで見るようなスライダースが普通にライブやっててさ、最後まできっちりやりきってアンコールまでやってくれたの。東京だったら武道館でやるレベルなのにさ。

スゲーなーって思ったし高校生ながらホントプロだなーって思ったんだよね。

あとリキッドルームで観たSIONがすげーよかったね。

それはウォーターを抜けた1週間後ぐらいにバンドを辞めて見る側だけになってライブを観たのがすごい久々でさ、なんかすげーグッと来たんだよねあの時のSIONは。

例えばBRACKETとかMR TとかSICKOとかあの辺り当時すごい好きなバンドだったから生で観れてすごい良かったんだけど一緒にツアー回ってるからやっぱり見方が違ってたのかなって思うよね。

高校生の時ってお金を出してチケット買ってさ、もうチケット買った時からワクワクしてホント楽しみだったじゃない。そうやってバンドをやる側じゃなくなって純粋にライブを観るだけの感覚というかね。それはやっぱり全然変わるよね。

あの時のSIONのライブってドラムはルースターズの池畑さんって人が叩いてたんだけど、、、あ、やっぱりドラム観ちゃってたな(笑)ドラムやめた直後だったんだけどやっぱりドラムいいなぁってちょっと思ったかな。

でもあの時のSIONのライブはホントグッと来たんだよね。もともとSIONは大好きだったしね。

 

Q14. これまでやってきた自身のライブ(ツアー)で印象深いライブをいくつか教えて下さい。思い出やエピソードも教えて下さい。

A. NOFXが最初に来た時は一緒にはやれてないんだけど観に行ってさ、GMFの遠藤君が英語ペラペラだったから彼にしゃべってもらってNOFXにオレらのデモテープ渡したのね。

で、次の来日の時にはクアトロで一緒にやれたんだけどさ、今でもNOFX一緒にやれたなんて信じらんないよね。打ち上げもすごかったよ。一緒に飲んでさ。

あとはMR T, BRACKET, SICKO, PROPAGANDHI, J-CHURCH....もう挙げたらきりないけどさ、やっぱりスプロケの解散ライブと再結成してのワンマンなんていうのは印象深いし、あとウォーターでいえば2nd AGAIN & AGAINのレコ発をシェルターでやったんだけどそん時すごいたくさん観に来てくれて凄い印象に残ってるね。

あとスプロケ再結成してからのライブなんだけどKENNY BAKERのスケートパークの企画に呼んでもらったことがあったのね、KENNY BAKERのドラムってオレが中学の時大好きだったというか憧れてたポゴのドラムの純さんがやってるの。

オレがなんかのきっかけで純さんと知り合うことが出来てその流れで呼んでもらったの。あれはもう中学の時のオレにしたら事件だよホントに。

もうねオレが叩いた後のドラムにあの人が座ってさセッティングし直して同じドラムを叩くなんてあの時のオレが見たら卒倒しちゃうよね。あんな人と出会えて一緒にやれたなんてホント信じられないよね。

スプロケが復活したから叶ったというね。

みんなそれぞれあるんだろうけどこれはホント当時の自分に教えてやりたい的なことだよね。

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Q15. 最後に読んでくれた皆さんにメッセージをよろしくお願いします。告知もありましたら!

A. もし最後まで読んで頂けたのであればなんかすみません、ありがとうございました(笑)

とにかく一度っきりの人生、辛い事も多いかもしれないけど だからこそ好きな事幸せな瞬間かさらに際立つのかもしれないなと。 

病気してなお思うのかもしれないけど家族なりパートナーを大事にして下さい。

そんなのいねーよという人は自分を大事にして下さいね!

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Keniciro Maruta (SPROCKET WHEEL/G&Vo)  : Interview ➡ HERE

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【1996年 SPROCKET WHEEL & STUPID PLOTS 初対面時】

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【LIVE CLEAN STAY YOUNG Vol.10】

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【Designed by A. SUEHIRO 】

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【SPROCKET WHEEL & Sakura / RISE ABOVE FEST 2019】

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【2017年 LIVE CLEAN STAY YOUNG VOL..20】

【DAILY NEWS 】

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