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Killerpassに初めて会うことが出たのは2016年。彼らの企画にSTUPID PLOTSが出させてもらった時だった。自分たちがライブ活動を休んでいた時からKillerpassのことはネットで知っていて気になる存在だったから自分たちが再始動後すぐに声を掛けてくれたことがとても嬉しかった。その後他の企画で一緒になったり福井にも来てもらったり、またヴォーカルの林君にはソロでPUNK合宿GIGにも参加してもらったりとずっと仲良くしてもらっている。Killerpassはアルバムのリリースやアメリカツアーや地元での企画など活動の幅がどんどん広がっていってもバンドを始めた頃の危さのような勢いが消えることはない。時間の流れにもまれても角が落ちないで尖ったまま転がり続けているところがカッコいい。今回はそんなKillerpassのフロントマン林君にいろいろなことを話してもらった。

( TEXT : Shogo Yamaguchi (ROADSIDE RECORDS . STUPID PLOTS )  2022 )

Q : Shogo Yamaguchi ( ROADSIDE RECORDS / STUPID PLOTS )

A : Ryuji Hayashi ( Killerpass )

(Interview date: Janualy  2022 )

Q1. 自己紹介と今やっている音楽活動(バンド・ソロ、、、など)について教えて下さい。

 

A. 林 隆司と申します。Killerpassというバンドをやっています。他はたまに弾き語りをやったり位です。

実はもう一個、自分の住んでる愛知県春日井市という街で超ローカルなバンドをやりたいなと計画してるんですが、全く進んでないんで忘れない様にここに刻んでおきます。

やるぞ俺。

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Q2. コロナの状況も長引いてきました。この間バンド活動やプライベートどのように過ごしてきましたか?マラソンを始めたそうですがどういった経緯で?

A. 長い!!

 

で終わらせたかったんですが、そういう訳にもいかないんで。

コロナ初期は逆に良い機会だと思い、自分が興味あったけどあまりやってこなかった事をやってみるかと思ってチャレンジする期間でした。

読書や映画鑑賞、料理だったり。大体の人がやってそうな事を中心に。

どれも凄く面白くて、読書は中々続きませんでしたが、自炊癖はついたし映画も月1,2本位は観る様になりました。

自分に向いてるものみたいなのが色々分かって良い機会だったなと思ってます。

 

ランニングはコロナ以前から軽くやっていたんですが、ここまでのめりこんだのは2020年の夏位からですね。

まず始めるきっかけは、完全に下地さん(Killerpass/DiSGUSTEENS/SUSPENDED GIRLS/WORTHWHILE WAY)の影響です。

彼は月間300km以上(異常)走るベテランシリアスランナーなんですが、スタジオや遠征の度にランニング・メソッドをジワジワと受けてまして…(笑)

最初は興味ゼロでスルーしてたんですが、あまりにもずっと言ってるので(笑)

段々話を聞いてたら、「確かにライブの後半とか息切れるし、体力つけるためにやった方がいいんかな…」と思う様になりまして。

見事術中にはめられ、走り始めた訳なんですが、運動経験ほぼ皆無の僕が突然走り始めた所でしっかり出来るはずもなく。

2,3kmを週何回か走るのがやっとの状態が続いてました。

それでもめげずに続けてたら、段々と楽しくなってきてしまいまして。あれ、意外とまだ距離伸ばせるぞ、とか、こないだより早く走れた!とか。

地味なんですが成長をしっかり感じられるのが嬉しくなって。

それで、自分はどこまで出来るんだろう?と思い、始めて半年位した頃にハーフマラソンにエントリーしたら、完走出来ちゃって。

そっから調子に乗って、フルマラソンまでは頑張ってみようと思って数本他の大会もエントリーしてたんですが、そのタイミングでコロナがきてマラソン大会が一気に全部飛んだんですよ。

あの時のスタジオでの下地さんの絶望に満ちた表情は忘れられませんね…。

 

フルマラソン完走したら、後は体力向上のためにちょこちょこ走ればいいやと思ってたら、大会が無いから一気にモチベーション下がっちゃって。

どうにかやる気が上がる方法ないかなと探っているタイミングで、「そういえばずっと一人で走ってるな。他の人と走ったら面白いのかなあ」と考え始めて。

せっかくだから全然知らない人の所に飛び込んでみようと思って、社会人サークルみたいなランニングチームをinstargramでみつけたので勢いでメールして参加させてもらいました。

最初はアットホームな雰囲気で楽しく参加させて頂いていたんですが、話したりしてても何かかみ合わないというか、どこか不穏だなと感じていて…。

まあ、結論から言いますと、そのサークルはマ〇チ商法の団体だったんですが(笑)

 

そんな紆余曲折もありつつ、支払った代償(金ではなく精神的に)は大きかったですが(笑)、そこで人と走る楽しさを教えてもらいました。

マル〇商法が発覚した瞬間にその団体は当然脱退したんですが、その1か月後位にたまたまYoutube番組「ツチヤチカらのシティタランチュラ」にゲストトーク要員として呼ばれたんです。

そこで話してる時にツチヤさん(6eyes)から「それだったら、自分でチーム作ったら?」という事を言って頂きまして。

その日がキッカケとなり、自分が団長を務めるランニングチーム「Rock'n'roll Or Run」を立ち上げました。

そこからチームの時は友達や知り合いと話しながら楽しく走る(俗にファンランと呼ばれています)、一人の時はストイックに練習する、という2つの楽しみ方を手に入れました。

おかげで今の今まですごく楽しくランニングライフを送らせてもらっています。もう完全に生活の一部ですね。

ケガだけ気を付けつつ、今後も走っていけたらと思っています。

この場を借りて宣伝させて頂きますが、「Rock'n'roll Or Run」はいつでも団員を募集しています。

走りたい気持ちがあれば基本的に誰でも歓迎しますので、お気軽にご連絡ください!

 

バンド活動に関しては、2021年にHALF SPORTSのくわくんをヘルプに迎えて、4本のライブを行いました。

どれもとても楽しく、貴重な経験が出来ました。くわくんには本当に感謝しています。

現状ではライブの予定はありませんが、バンド活動自体は止まっていません。

あまり語るのは野暮なので辞めますが、必ず皆さんの前に戻るつもりですので、しばしお待ち頂けたら。

 

「ツチヤチカらのシティタランチュラ」 #2(ゲスト・テライショウタ:Gofish、カベヤシュウト:oddeyes、林隆司:Killerpass、喫茶マスカラス)8/31(月)21:00〜配信! - YouTube

Q3. Killerpassはポップなメロディーと日本語詞、そしてハードコアのスピードと独特の世界観がありますが、影響をうけたものや意識している点ありましたら教えて下さい。

A. 初期に影響を受けたサウンドは、完全にヨーロッパのPOP PUNKです。今聴き返すと全く出来ていないんですが…。

挙げるとキリが無いですが、特に好きだったバンドは涙なしでは語れない奇跡の共演を果たしたSHOCK TREATMENT、勝手にカバーもさせてもらったDEPRESSING CLAIM、SUGUS等スペインのバンド、ASTA KASK等80'sを源流に脈々と受け継がれるスウェーデンのサウンド、I MONELLIやHOME ALONEの様な通称イタチ声系(笑)イタリアのバンドだったりも必死にレコードを探しました。

だけど、やっぱり自分の中の決定打は日本のFEEL LIKE SEVENTEENです。楽曲、アートワークのセンス、Killed By Pop Punk感(また竹中さんに怒られそうだな…)、全て憧れでした。

なので最初の頃はエセスペイン語で歌ってました、ヤフーの翻訳サイトを駆使して…。

日本語になったのは、東日本大震災が自分にとっては大きかったです。無力感に苛まれる中でクソでもなんでもいいからとにかく自分の想いを、言葉を伝えたいって本気で思ったし、そうでなきゃ今やってる事ってパンクでもなんでもなくないか?という衝動に駆られました。

素直な気持ちを歌詞にしているのに、使えない言葉で歌ってるという、自分の中の矛盾を猛烈に突き付けられた感じで。

そう思ってから直ぐに、歌ってた曲全てを日本語に変えました。以降はずっと日本語ですね。

サウンドに関しては上記の通りPOP PUNKをやりたかったので、最初の頃はハードコア色は皆無でした。どこか避けてた所もあったのかもしれません。

ハードコアを取り入れるキッカケはドラムのカズキックがインフルエンザに感染してしまい、予定していたライブに出れなくなってしまった時に急遽ヘルプでドラムを叩いてもらったダブさん(ex.PROLETARIART)とのスタジオですね。

その時にD-BEATを教えてもらったんです。コレはカッコいいから取り入れたいなと思って、初めてD-BEATでつくった曲が「自分の言葉で話したい 自分の言葉で伝えたい」という曲です。

それ以降はハードコアサウンドもやっていいんだ、取り入れてもいいんだなと思うようになったし、年数を重ねる毎にカズキックさんのドラムがドンドン加速していったので(笑) こうなるのは必然だった気もします。

今は特に特定の何かっていうのは意識せず、自然体でやってますね。その時に良いと思った、感じたモノをバンドに落とし込むだけです。

何やってもカズキックさんのドラムが乗ればパンクになりますから。

*2013年SHOCK TREATMENT来日ツアー時にメンバーと撮ってもらった写真。こんなミラクルあるんだなという一枚です

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Q4. 2017年にはアメリカツアーを敢行していますがどういった経緯で?またアメリカツアーでのエピソードや思い出など教えて下さい。

 

A. 前ギターの健太さん(現The.Visit)が家庭の都合で実家にある青森に帰るためにバンドを脱退する事が決まっている中で、だったら最後に長いツアーでもやりたいな、やるならアメリカっしょと軽い気持ちで思ったのが始まりです。それでKiliKiliVillaの安孫子さんに何とかならないですか?と相談したら、phat'n’phunkyのボブを紹介してくれたんです。

知っている方も多いかもしれないですが一応説明すると、彼はSHINOBUというバンドで過去来日ライブを行っていたり、レーベルでは銀杏BOYZの「リビドーEP」をリリースしていたりとかなり日本のバンドに精通していて。

彼が今回の話を快諾してくれて、日程等全て組んでくれ、移動や宿泊の手配その他全てを行ってもらいました。。。

今この文章書いてるだけで思い出して泣きそうになりますね…。

自分の中で印象的だったのは、初日ボブが空港に迎えに来てくれた時、長時間の飛行機移動での疲れや慣れない土地の空気、人見知り等色々混ざって何とも言えない独特の緊迫感があったんですが、乗せてもらった車でEXPLODING HEARTSがかかった瞬間に「あぁ、ツアーが始まった」と物凄い高揚感に襲われ、抱えていた緊張が一気に解放された瞬間を覚えています。

あとツアー後半移動中の車内、凄く壮大な大地をボーっと窓から眺めてた時にぼんやり浮かんできた歌詞とメロディーを基に作ったのが「アメリカンドリーム」という曲です。

本当に思い出があり過ぎて書ききれないんですが、詳しいレポートはカズキックさんがアメリカツアー記を書いてくれてるんで、そちらを読んでもらえたら。

* KiliKiliVilla | MAGAZINE - 2018.12.13 Killerpass 2017 US TOUR日記

*ボブにまた必ず会いたいし、絶対一緒にライブしたい。

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Q5. 1stアルバムリリース、アメリカツアー後にメンバーチェンジをしていますが自身のパート変更のことやバンド全体の変化で感じていることを教えて下さい。

A. 健太さんの脱退が決まったのがバンドを抜ける1年前位だったので、その間に色々構想を考えていて。

安孫子さんに脱退の報告兼今後の相談をしている時に「4人でやったらいいんじゃないか?」と言ってくれたんです。

アルバム制作を経た経験と反省から、ざっくり歌に力を入れたいなというモードになってて。けど技術的にベースボーカルだと難しさを感じていたので、ここはいっちょベースを入れてギター弾いてみようか、となったのがパート変更のキッカケです。

弾き語りって基本歌とギターだし、ベースボーカルよりハードルも下がるだろうと。

…今思えば何でそんな風に考えてたか意味不明だし舐めすぎなんですが、当然そんな上手くいく筈もなく(笑)

ほとんどやった事のないギターという存在の大きさに打ちひしがれ、恥さらしなプレイを重ねてきてしまいました。。今だって絶賛悪戦苦闘する毎日ですよ…。

ただ、お陰で一人で何とか弾き語りやれる位にはなったし、何より弾いてて楽しいですね。

今はコードやスケールをちょこっとずつですが覚えていくのが新鮮で面白いです。今後どうバンドサウンドに反映させられるか楽しみです。

バンドとしてはわたるが入った事でサウンドと見た目が華やかになったし、下地さんが入った事でアンサンブルというものについて自然と考えられる様になりました。

ここでは書き切れないし言葉に出来ない事も多いんですが、メンバーチェンジでこんなにバンドのバランスって変わるんだなって思ったし、今後3人でやる選択肢は今の所全く考えられない位2人から色んなモノを貰っています。

これからもちょっとずつで良いので、4人でバンドを熟成させていけたら最高です。

*2021年撮影、最新のKillerpassアー写です

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Q6. 名古屋のシーンはどんな感じですか?また地元での音楽活動で意識していることや想いはありますか?

A. 自分が見ているのは極一部でしかないので、なんとも言えないですね。

3年前に確実に名古屋のパンクの象徴の一つであったRECORDSHOP ANSWERが閉店してしまいましたが、2年前にRECORDSHOP A-Zが出来ました。

脈々と文化は受け継がれているけれど、今でしかあり得ない、新しい風が吹いてる。

きっとそれの繰り返しなんですよね。

出来る事なら、自分もその歴史の証人の一人でありたいなって勝手ながら思っています。

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Q7. 初めてバンドを組んだのはいつごろでどんなバンドでしたか?またこれまでのバンド遍歴も教えて下さい。

A. 高校3年生の卒業間際位に、地元の同級生4人でTHE BLUE HEARTSのコピーをやったのが初めてです。ベースでした。

それまでにも好きだったメロコア等のコピーを試みた事はあったんですが、高校生の僕にはむず過ぎて出来ませんでした。

けど、ブルーハーツは出来ちゃったんですよ。嬉しかったなあ。パンク最高ですね。

そのバンド自体はただみんなでドラムセットやアンプの置いてある友達の家の別荘みたいな所で集まって練習したり溜まったりしてただけでしたが、翌年かな?当時ALLieというバンドをやっていた響さんが「額田群(愛知県)の山奥でイベントをやるので出演バンドを募集している」という告知を出していたのをmixiかどっかでみたんです。

高校卒業から1年以上経ち、既にほとんど練習すらしてなかったお遊びコピーバンドだったのに、告知を見た瞬間に「うわ、出てぇ!!」と謎に思ってしまい、メンバーに言って出演が決まりました。

ボーカルが脱退していたので3ピースで、HUSKING BEEとSNUFFのコピーをやりました。演奏の記憶は、ほぼありあません。思い出したくもないですが…。

ただ同い年の星であったhold one's waterと最初で最後の共演を果たしたり、当時GOING STEADYのコピーバンドをやっていたコセくん(△/river resk店主)と初対面したりと得るものは大きい一日でした。クソでも下手でもなんでもいいからとりあえずやった方が良いという精神はこの辺りで育まれたのかもしれません。

後今思い出しましたが、バンド名はDragon browでした。センス大分ヤバいですね…。

 

その後すぐ位に当時ライブハウスで良く会う友達だったかずともくん(現SPAZZMATICS)を中心に、HELLO WORKSのギターちあきさん(現MURAKADO)、hold one's waterのドラムはっしーと組んだのがSIKA SIKAというバンドです。

自分が在籍したのは2年程でしたが、初めての録音やdo it2008の出演等、19~21歳という多感な時期にとても良い経験をさせてもらって本当に感謝しています。

 

脱退と同時に、自分で考えたバンドをやってみたいと思って始めたのがKillerpassです。

まだ名前もつけてない頃ですが、一番最初はDragon browのギターがメンバーでしたよ。今でもたまにライブに来てくれます。

 

後は2014~2015年辺りにMILKのキムが仕事の都合でフィリピンに長期出張になってしまったタイミングで、ヘルプでベースを弾いていました。

今はタイチに引き継ぎ、彼が正式メンバーとして活躍していますが、気持ちは永久サポートメンバーとして常にワールドカップの時のカズ状態で控えてますよ!

*SIKA SIKA在籍時の私は若気の至りで茶髪でした…

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Q8. バンドを始めた頃の夢や目標はありましたか?

A. 青臭くてこっぱずかしいんですが…。

嘘・偽りなく書くなら、「僕も愛知県のパンクシーンの一員になりたい」という想いです。

大げさでもなんでもなく、それが夢でした。

 

先述の様にシーンというと僕が話すには荷が重すぎる一方で、語れない一因としてシーンと一括りで言い切れない位多様な人達がいる、という側面があります。

一時期は毎週の様にHUCK FINN(名古屋市今池にある老舗ライブハウス。巷ではPUNK/HARDCOREの聖地とも呼ばれている)に通って本当に沢山のバンドやライブを観に行きました。愛知県のパンクと言えば思い浮かべる人も多いかと思われる、炎天下GIGや限界破滅GIGといった野外イベントも、ほんの少しではありますが観る事が出来ました。

2005年前後位かな?一つのイベントで6〜8バンド位出る事が多くて、当時そこまでネットの情報が無かったので知らない地元のバンドをライブで初めて観る、みたいなのが割りと当たり前でした。最初は少し構えて観るんですが、出てくるバンド出てくるバンドみんなスタイルが違ってて、だけどどのバンドもかっこよくて。凄く刺激的だったし、毎回「今日はどんなバンドが観れるんだろう」ってワクワクしっぱなしでした。

これは憶測ですが…意地の張り合いの様な要素も込みで、画一的なサウンドやスタイルにならない様に、自分達の個性や独自性を追求してた人達が多かったんじゃないかなと勝手に思っていました。

そうやって刺激し合ってる感じが凄くカッコいいなと思ったし、今でもその価値観はずっと自分の根底にあります。

愛知県に住んでいたおかげで10~20代前半で様々なサウンドに触れられたし、凄く刺激を貰えた。

バンドをやってみたいなと思ったのも、同じ街の人達がメチャクチャカッコいい音楽をやっている、という所が大きかったです。

 

ただ…、物凄く勝手ながら、それと同時に自分がカッコいいなと思うバンドの中にポップな事をやっている人が少ないな、とも心の底で少し思っていました。

自分がレコードを聴いていたり、当時熱を入れてたバンドもあまり名古屋に来ていなかったりしていた状況もありまして。

だけど、それが逆に、「これは、美味しいのでは…?」と思ってしまったんですよね(笑)

この街では誰もやってないから、やったら目立つだろうと。

もちろんキッカケの一部にしかすぎませんが、そんな邪な気持ちも持っていたと自負しています。

随分時間をかけてそういったコンプレックス(パンクシーンの一員になりたいといった事)もなくなりましたが、「愛知県の中で誰もやっていない事をやる」っていうのがKillerpassの初期衝動だったのではないかと振り返って思いますね。

 

でも、もしかしたらただ友達が欲しかっただけな気もします…。いつも一人でライブ行ってたし(笑)

*家にあった2005年のハックフィンマンスリースケジュール。懐かしい

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Q9. 現在の夢や目標はありますか?(バンド、音楽活動、またプライベートでも)

A. フルマラソンに出場し、サブ3.5を達成する事です。

これが今の夢であり、目標です。

 

今の頭の中は本当にこれ一本なので、これで終わっても良かったんですが、あまりにも誰も面白くないと思うんで…。

 

音楽をやる上での目標は、自分が愛聴出来る作品を作る事です。

昔からとにかく自分の歌や演奏を聴くのが本当に苦手でして…。

一人で聴いてるだけでもいたたまれない気持ちになるし、友達とかと一緒に聴いてたら、もうその場から消えたくなります…。

これに関しては今までずっとそういうモンだからとか、そういう性格だから、って思っていたんです。

だけど最近、ただ自分と向き合っていないだけなのかもな、と思う様になりました。

自分の中で納得できていない事があるうちはこの感情は消えないんだろうなと、あまりにも遅すぎますが気付きました。

その時その時の最高地点というのは勿論あって、それをやっているつもりなんですが、それでも過去の音源を聴くと恥ずかしくなってしまう。

 

そこから脱却する術の一端を、今やっと掴みかけている所です。

でもその術も、もしかしたら間違いなのかも知れない。それ位果てしない事だなって思います。

一生かかっても叶えられないかもしれないけど、それが達成出来るまではブツブツ言いながら音楽を楽しめる気がしています。

*LPを出すのも本当に夢の一つでした。色んな人に感謝の気持ちしか出てきません…

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Q10. 人生においての重要な5曲(またはバンド、音源単位でも)を教えて下さい。その曲についての思い出やエピソードも教えて下さい。

A. えっと、コレ、大分むずいですね…。3年位時間ください(笑)。

皆さんどうやって答えてるんだろうと偵察したら、やはりぼかして答えてる人が多い印象です。

という訳で?自分もぼかして書くんですが、それでも大分悩んだんで許してください。

これを書いているのが丁度2022年のはじめなので、2021年で印象に残った、よく聴いた曲をどうぞ!

いやすみません、これでもがんばったんで許していただけると…。

① Official髭男dism / Universe

 

昨年リリースされた「Editorial」というアルバムは間違いなく昨年一番聴いた音源です。

まず、一曲目からアカペラでスタートして度肝を抜かれました…。

全体的にスターダムに乗ってる人達がやる事とは思えない挑戦的な内容なんですが、キャッチーなヒット曲も随所に散らばってるからずっと聴けてしまう。

何より本当にリズムが気持ち良いんですよ。自然と体が揺れちゃう感じっていうか。

音楽的なバックボーンも広くて、彼らが選んだ今作に影響を与えたプレイリストもとても面白かった。

最近のネオソウル(Samm Henshawって人凄くよかった!)やヒップホップと同列でThe Starting Lineとかも入ってて、しかも同名の曲をアルバムに入れてるんですよね。

粋な人達だなと思ったし、音楽愛が伝わってきます。これからもどんな曲を出してくるのか楽しみです。

 

一曲選ぶのがむずいんですが、イントロのキーボードからぶち上がりまくった大好きなこの曲を。2021年ソウル/ポップスクラシックの一つだと思う。

 

PS:追記なんですが、先日コンサートを観に行きまして。それはそれは素晴らしかったんですが、開演前にMY CHEMICAL ROMANCE「Welcome to the Black Parade」がかかってて、ドラマチックな展開と共に徐々に音が大きくなってメンバーが登場した時は鳥肌が立ちましたね…。

*Official髭男dism - Universe[Official Video] - YouTube

② FISHMANS / ひこうき

 

このバンドとの出会いは、昨年一の衝撃でした。

 

…今更とか言わないでください。だって聴いたことなかったんですから。

きっとみなさんだってそういうの一杯あると思うんですよ。その中の一つなだけです。決して昔から聴いてましたとか言いませんよ僕は。

 

こういう言い訳をしてしまうからダサくみえてしまうんだろうなと思いつつ、本題です。

聴いてなかった、触れてこなかった要因はたくさんあるんですが。

若い頃はパンク原理主義に近かったから優先的にそういうのばかり買っていたし、それ以外は基本安くないと買わなかったんです。買わないと聴けなかったし。

ただ、フィッシュマンズって名前は知ってて、いつか聴いてみたいな位は多分思ってたんですが、ブックオフの250円コーナーとかではまず見なかったんですよね。

だから中々触れる機会がなく過ぎていったんですが、昨年公開された映画「FISHMANS」を観に行く事になり、せっかくだから聴いてから観にいきたいと思ったらサブスクにほぼ全部あったんですよ。

ありがたいですよね、本当に。やっと出会えました。

映画も濃厚過ぎる(3時間位あった!)内容でかなりヤラれましたが、何より楽曲の素晴らしさに完全に打ちのめされました…。

ひたすら「音楽」を追求しまっくてる音楽。だからこそ美しくて、だからこそ崩壊する。だからこそ、ずっと色褪せない。

値崩れしない理由も一発で分かりましたよ。この音楽に出会ってしまった人は心の中から手放せないだろうな。

自分はまだまだ魅力の一部にしか触れてないので、これからも深く掘り下げていきたいバンドです。

 

1stシングルであるこの曲は、1st特有の爆発的なキャッチーさ、粗削りな部分や微笑ましいあどけなさもあるんですが、どこかこれがラストシングルなんじゃないか、と思わされる完成度と、何とも言えない哀愁感を同時に備えている様にも聴こえる。

こんな感情になれる曲、他にないですよ。

*Fishmans – ひこうき (MV) - YouTube

③ Curtis Mayfield / MOVE ON UP

 

2021年は髭男の影響もあってか、ソウルミュージックを比較的たくさん聴きました。

昨年はディスクユニオン名古屋店がオープンし、初日に駆けつけゲットしたうちの一枚がこの曲が収録されている「CURITS」というアルバムでした。

細かい説明は不要な名盤だと思うんですが、ネットを見てたら丁度FISHMANSの佐藤さんもこのアルバムを愛聴盤の一つに挙げてたみたいな記事をみて、何か勝手にシンクロしてしまいました。

で、かなりこのレコード家で聴いてたんですが、やっぱり車でも聴きたいなと思って、サブスクで出勤途中に聴いてみたんですよ。

そしたら家で聴いてた時と全然印象が違って。なんか乗ってこないんですよ、気持ちが。

何なんすかねコレ。多分出勤前でただ仕事が嫌過ぎただけな気もするんですが。そう思って勤務後の車でも聴いたんですが、やはり同様で。

ただ仕事で疲れてただけな気もするんですが。そっからは車では聴いてないです。だけど、定期的に針を落として聴くんですよ。家で。

 

僕はサブスクヘビーユーザーです。正直もう手放せないし、無くなったら大分キツい。だけど同様にレコードも無くなったらキツい音楽ってあるなって思いました。

単純に音質の問題なんじゃないか?とも思うんですけどね。サブスクがなかった時代に作った音源だから、完全にはマッチしないというか。

(ごめんなさい色々聴き比べての感想ではあるんですが、この憶測は全て個人的なものなので、参考にはしないでほしいです)

レコードを買い続ける事について自分の中で悩んだ年でもあったんですが(これについては色んな人と話してみたいんで、よかったら話しましょう)、やっぱレコード最高!!って瞬間も確実に自分の中にまだ存在していました。なので今年も買い続ける事でしょう。財布と相談しながら。

最近美容品なんてものを買う様になってしまったから、レコードに使えるお金が減ってます…。

 

あ、アルバム通してマジで凄い作品ですが、中でもこのアッパーチューンを挙げときます。

昨年末位にNOT WONKがカバーしてる動画を観てビビった。この曲やれるバンドいるんだ。凄い…。

*Curtis Mayfield - Move On Up - YouTube

④ SAGOSAID / Long Thinking

 

もちろん知り合いどうこうは置いておいた上で素晴らしい作品ですが。

アルバム「REIMEI」は昨年知り合いがリリースした作品の中で一番印象的だった作品です。

佐合さんの世界観がドンドン深みを増していってて、正直ビビりました。

不協和音とか含めて全部が彼女自身から発している表現・メッセージで、一体になって襲い掛かってくる感覚。

どんよりしてて重たいので、ひー、やめてくれええ!!とも思うんですが、どこかポップな抜け道があるからなんかクセになっちゃいます。

それと同時に、この作品は佐合さんの序章の一部、っていう雰囲気も備わっている様にも思いました。

本当これからどうなっていくんだろうっていう次の変化への期待もビンビン感じとれて、目が離せないっすわ。

あと何だよこの歌詞。メンヘラかよ。めちゃくちゃ共感しちゃったじゃねえか。凄いっす。

 

このPVは恥ずかしながらかなり惹き込まれて何回も見てしまいました…。

その度ぜってー佐合なんかに引き込まれてたまるかと、必死に戦ってますよ。

負けねえからな。

*SAGOSAID - Long thinking (Official Music Video) - YouTube

⑤ TURNSTILE /BLACK OUT

 

アルバム「GLOW ON」を初めてヒデ(THE ACT WE ACT/DO NOT/SIBAFÜ)の車で聴いた時の感想は「え、何コレ」みたいな感じでした。

だけど、何か良くわからない胸の奥底のほんの少しのときめきの様な…なんとも言い表せない不思議な感情も抱いて。

家に帰ってから直ぐ一人で聴き直したけど、分からなかった。車でも聴いたけど、イマイチ馴染まない。

だけど引っかかり続けて離れないんですよ、TURNSTILEの音楽が。

この感じってなんだろうって考えてたら、10代の頃ハードコアパンクに初めて触れた時の感覚と似てるなって思いました。

そうこうしてる内に、ドンドン「分からないもの」から「カッコいいもの」として認識が覆っていきまして…。

今でも「この展開ってかっこいいんか…?」みたいな所も全然あるんですが、それも含めて虜になってる自分がいます。

何回も何回も、繰り返し聴いてる。昔から聴いてる大好きなカッコいいハードコアより、何回も何回も。

あぁ、まだ新しいパンクロックにときめける自分がちゃんといるんだなって、安心しました。

 

選んだ曲は特に「コレありなんかな…」と思った曲です。

昔ヒデが言っていました。ハードコアは革命を繰り返してきた音楽だと。

ナシがアリに変わる瞬間。こういうのを革命って呼ぶのかなと、ふと思いました。

 

この映像は昨年9月のアメリカでのライブ。

海の向こうでは何かが起こりそうな予感どころか、とっくに始まってるんでしょう。

遅い事なんてきっとないはずなら、この国も新しい何かが起こるって信じてます。

*hate5six] Turnstile: "Glow On" Record Release, a hate5six concert film (September 16, 2021) - YouTube

Q11. これまでに観たライブで特に印象深いライブを3つ挙げて下さい。思い出やエピソードも教えて下さい。

A. コレも大分むずいですが、今パっと思いつくやつを。明日聞いたら3つとも違う可能性がありますが…。そういう一言いらないか…いらないですよね。男気が足りない…。

でも間違いなく、どれも自分の音楽人生にとても影響を与えたライブです。

① GOING STEADY@名古屋DIAMOND HALL 2003年5月?

 

ちょっと詳細失念しました…。恐らくこの位の時期だったと思います。自分は高校一年生でした。

SET YOU FREEのTOURで、GOING STEADYの他にLINK、MOGA THE ¥5、THE DUDOOS、NOT REBOUNDが出ていたはずです。誰かこれ行った人いたら教えてください…。

しかし今考えても凄いメンツだし、Killerpassの原型はもうコレ観た時点で出来てるんじゃない?と思うような素晴らしいバランス感ですね。

千葉さんにビッグリスペクトを。

実は元々HUSKING BEEがラインナップされていたので、チケット取ったんですよ。ところが会場に来てみたらキャンセルになってて。あれなぜだったんだろう。

なのでゴイステ目当てではなかったんです。その時自分はゴイステの事あんまり知らなくて、今凄い人気があるみたいな話を一緒にいった同級生から聞いてた程度で。

CDも「さくらの唄」をその同級生から借りて少し聴いてたんですが、勢いが凄いな、結構いいなと思った程度で、ドはまりって感じでもなく。

そんな中当日会場に来てみたら、「もしも君が泣くならば」の歌詞が背部全面にプリントされたTシャツの人が8割くらい(イメージなので大分盛ってるかもですが…)いて、衝撃を受けました。

だけど、そんな衝撃が一瞬で霞む位、ライブが物凄かった。

登場した瞬間から、将棋倒し。ダイブ、ダイブ、ダイブ…。何かに取りつかれたように暴れるお客さん。

ほとんどステージなんて観れたもんじゃないけど、熱狂の隙間からふと覗く事が出来る演奏する彼らの姿は狂気に満ちていて、グラグラに感情を揺さぶられた事を覚えています。

この時体感した熱量を超えるライブは、未だに観た事が無いです。自分の中での美化も含めて、あり得ない事なのかもしれません。

消えなくなってしまった初期衝動の根源は、きっとここにあるのかと思います。

 

あと今だから言えますが…。その時てっきりGOING STEADYがトリだと思ってて、ライブが終わったら友達と外に出たんですよ。

けど中々一緒に行ったうちの一人が降りてこなくて、ライブの熱が冷めやらない中放心状態で30分位待ってたらやっと合流出来て。

何してたか聞いたら、「ノットリ観てた!」、と…。

 

ごめんなさい、あの時、NOT REBOUNDの事を知りませんでした。黒崎さん怒らないでください…。

 

その時の映像がこれみたいです。峯田さんがダイブしてる。

*NOT REBOUND - わや - YouTube

② keep away from children@幸田町ローズカラー 2006年8月?

 

すみません、これも詳細失念しました…。こんな状態のライブを選んでいいのかな…。

THE ACT WE ACT企画、nurse greenで対バンはジアクト、MBOMA、hold one's water、LIVE CLEAN STAY YOUNG、CYNIC-19だった様な。

キープは丁度2ndアルバム「さわぎだした僕の心のままに」が出たタイミングだったと思います。

パンクやハードコアのライブを観に行く様になってとても感銘を受けたというか、シンプルにカッコいいなと思った行為の一つに、自分の主張だったり想いをMCで話す、という事がありました。

日常と地続きでバンドをやっているんだなと感じさせてくれて、自分のパンク観にとても大きな影響を与えてくれたんですが、MCの内容は例えば政治への不満であったり、反体制であったり…大まかな表現になってしまいますが、何かに対してのカウンターの様な言葉を残す人が多かったんです(あくまで個人的な印象です)。

そういった印象を持っていた中で、その日のキープのライブ中Vo/GtダイさんがMCで「人生に必要なものは美味しいご飯と、音楽と、それを共有できる人です」という様な旨の話をされていて。

あぁ、こういう怒りや不満ではない素直な表現もパンクだよなって思ったし、今の今まで忘れられない位、心に刺さった事を覚えています。

 

キープの音楽性もまさにそんな青臭い感じを一切恥ずかし気もなく(当時この感じは珍しかった気がします。まだ日本語でストレートに歌う人も多くはなかった)奏でていて、愛知の他の誰にも似ていなかったし(全国にも類を見ないかと…。当時はほぼ全ての基準が愛知でした。すみません)、大好きなバンドでした。

ダイさんとはご縁があり何年かに一度はお会いさせて頂く機会があるのですが、発しているバイブスが本当にポジティブでいつでもキラキラしてるんですよ。

もちろん人前だからだとは思いますが、なんというか、人生メチャクチャ楽しんでます!最高!!みたいなのをガンガンに感じさせてくれて、元気が出ます。

こういう人の所に人が集まるんだなって思わされる、自分では絶対に近づけない憧れの人です。

またバンドを始められたら、ダイさんの住んでいる豊川で絶対一緒にやりたいなって楽しみにしています。

 

「しおりを挟んだ場所」は色褪せない愛知パンク・アンセムの一つ。

*keep away from children 「しおりを挟んだ場所」 - YouTube

③ THE ACT WE ACT@今池HUCKFINN 2011年4月29日

 

これは詳細ハックのHPに載ってた!助かりました。THE ACT WE ACT企画nurse green vol.20、ジアクトの1stアルバム「いってきます」のレコ発ですね。

対バンはTIALA、ETERNAL ELYSIUM、6eyesに僕らKillerpassもちゃっかり出演しています。

彼らとは僕らの初ライブに出てもらったり、一緒に合同企画をやったり、定期的にサポイチ鍋(サッポロ一番を入れた鍋)をやったりと常に身近にいたバンドでした。

キャリア的には数年以上先輩ではあるんですが、歳も近かったし音楽性は遠かったのかもしれませんが、そこも含めて愛知のパンクイズムみたいなのを共有出来た数少ない友人でした。

ライブもよく一緒にやっていたんですが、主にリフレクトスタジオ(過去丸の内にあった店舗です)という30人も入ると一杯になってしまう所でずっとイベントを打っていたので、聖地ハックフィンで企画するというのは凄く挑戦にみえました。

どこか僕も地に足つかない感じで当日を迎えたんですが、そんな心配も嘘だったかの様な超満員の人、人、人。

これは本当に嬉しかったですよ。

ライブも素晴らしかったですが、なにより一番身近なバンドが、こんな凄い事をやってるんだ!と誇らしい気持ちになりました。

けどそれと同時に、少し悔しい感情もあったのが本当の所です。

「僕もいつかここで、自分達が主役のイベントをやってみたい」

素直にそう思いましたよ。

 

音源を作る事だったり、バンドをステップアップさせたいという事を考えるキッカケとなった大事な一日です。

あれから10年以上経ちましたが、まだまだこれからもよろしく!ブラザー、ヒデ!

 

自分がめちゃ映り込んでるのが恥ずかしいです…。

*the act we act 11/4/30 in HUCK-FINN - YouTube

Q12. これまでやって自身のライブで印象深いライブをいくつか教えて下さい。思い出やエピソードも教えて下さい。

A. 自分の中で忘れられないライブと言われてパッと答えられるのは、1st7インチのレコ発ハックフィンと、健太さんの脱退ライブとなったアメリカツアーの最終日のライブの2本です。

7インチのレコ発は、上記ジアクトのレコ発から抱えていた想いをようやく形に出来た日でした。

細かい話なんですが、企画をやる時はほとんど一番最初に自分達の出番を組んでいました。

それが出てもらうバンドへの礼儀だと思ってたし、最初にやるのがスリルがあって面白いというのもあったと思います。

今でもそれは大きくは変わっていないんですが、この日ばかりは自分達のレコ発ですから。慣れないトリを自分で任命しまして。

数日前から台風が来てたり(しかも同時に2発…)とか、某超大型イベントと被っていたり(そちらは台風で中止になりました。すみません)、やると決めたくせにもう不安で不安で仕方ない日々を過ごしてた記憶があります。

だけど当日蓋を開けてみたら、今までのイベントでは考えられない程たくさんの人が来てくれて、大好きなバンドしか出ていなくて、憧れ続けていた場所でやらせてもらえて…。

終始自分の処理が追い付かない位、奇跡が起こりまくった夜でした。

そんな状態だったからか、あろう事かアンコールで30分前後喋り倒してしまい…。本当にご迷惑をおかけしました…。

何やってんだと今となっては思うんですが、そこから見た光景は、自分しか知らない一生の宝物です。この景色は墓まで持っていきたいって本気で思いましたよ。

アメリカツアーの最終日はVLHSというボブやその仲間が共同で運営しているDIYライブスペースでライブをやらせてもらいました。

ツアーの最後にボブが自分の街の本当に大事にしている場所で演奏出来る事がとても嬉しく、絶対良いライブをして恩返ししたいとめちゃくちゃ気合を入れて臨みました。

ツアーで研ぎ澄まされたメンバーの呼吸、波長もバチっと合って、冷静さも保ちながら、異国の地のほとんど誰も僕らの事を知らない環境の中で、一番自分達らしいライブが出来たんじゃないかなって思います。

そしてこの日は健太さんのKillerpass最後のライブ。

アルバムを作る過程だったり、一緒に過ごした時間の事がライブ中走馬灯の様に駆け巡りました(はず…)。

最後がベストライブで本当に良かったなって思います。

お互い、今後更新していけたら(もう健太さんは更新してるかもですが…)最高ですね。

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Q13. 最後に読んでくれた皆さんにメッセージをよろしくお願いします。告知もありましたら!

A. 山口さんに向けてですが。

延期となってしまったSTUPID PLOTS豊橋でのライブ、必ずやりますからもうしばしお待ちください!

その際は皆さま、是非観に来てください!めちゃくちゃ酒おごります!

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