【Sakura USA TOUR 2019 を終えて】
一年以上かけて計画をたてていた、妻、長女、次女の3人で行ったアメリカの旅も
小松空港に飛行機が到着したら無事全て終了する。
空港にしっかりと着陸するまでは心配で、空港まで車で1時間ほどかかる自宅を迎えのために
落ち着かない気持ちで出発したところ、余裕を持ちすぎて1時間も前に空港に着いてしまった。
まだ飛行機の到着を待つ人はまばらな小松空港の待合所の椅子に座っていろいろなことを思い返していた。。。
今回のアメリカへの旅、シンガーソングライターの次女、桜にとっては、19歳にして初のアメリカツアーで
シカゴ、ボストンx2、ニューヨークと4か所でのライブというとても大きいものになった。
自分のレーベルROADSIDE RECORDSとしても桜のアメリカツアーを実現できたことは本当に大きなことだ。
まさかこんな時が訪れるとは2年前桜が音楽をし始めた時には想像もできなかった。
小さなころに大きくなったら何になりたいかといった夢の話をすることがある。
子供のころの夢が学校の先生、花屋さん、など現実的な場合実現出来る可能性が高いけど
プロ野球選手、Jリーガー、仮面ライダーなど”子供ならではの夢”を持った子供たちは叶えるのがちょっと難しい。
小さなころの桜の夢は「歌手」だった。それがどちらの方のタイプなのかはおそらくおおかたの想像の通りだ。
幼稚園、小学生の頃の桜は授業で手を挙げて発表したり積極的な行動がとれるような感じではなく
どちらかというと教室でも消極的な方だったから歌が好きで家ではいつも歌っていたし
上手だとは思っていたけど人前に出て歌うことが得意とは思えなかった。
ある時テレビCMで地元テレビ局のお祭りでカラオケ大会の出場者を募集していることを知り
桜に「出てみたら?」と、NOの返事を想像しながら言ってみると「出る!」という言葉が返ってきた。
一瞬耳を疑ったけど親として積極的に挑戦してみようとすることが嬉しくて、
そこそこの参加費を払ってエントリーすることにした。大人に混ざって小学生は一人。
見たことがないぐらいに緊張していたけどなんと予選を通過して本選に出場することができた。。。
それが桜にとって人前で歌をうたった最初の経験になった。桜が小学4年生のころだった。
桜がギターを弾き始めたのは6年生の頃で自分でインターネットで押さえ方を調べて弾いていた。
いくつかのコードを覚えたところでそれらのコードを覚えたならオリジナルの曲を作れるよって伝えると
早いうちから自分で曲を作ってみたりしていた。中学生になってからも学校や部活で忙しいなか
時間があると ギターを弾いて曲を作ったり好きなアーティストの曲を弾いて歌ったりしていた。
中学3年生になり高校へ向けて進路のことや将来のことを話す機会が出てきた頃には
桜の口から「歌手になりたい」という子供の頃の夢の話は出なくなった。
だけどそのころも子供の頃と変わらず本当に歌うことが好きだったから
本心では歌を歌い続けたいと思っているということは容易に見て取れていた。
「歌手」なのか「ミュージシャン」なのか言葉のニュアンスではあるけど「ミュージシャン」になりたいのだろうと。
その頃、進路・将来のことに悩む桜に自分の考えを話したことがある。
ミュージシャンにはなれる。歌が好きで自分で曲を作り歌詞を書き歌いたいことを歌い続ける。
伝えたいことを歌に乗せて聴いてくれる人に届ける。それでいい。分かってくれる人がたとえ少なくても、
何人であっても構わない。自分が信じた自分の歌を歌い続ければそれがミュージシャンだと思う。
それは他人が決めることではなくて自分自身で決めることで、歌うことが職業になり歌でお金を稼ぐことが
ミュージシャンであるかどうかの条件ではないことを話した。
自分も30年以上音楽をやっている。そして自分の周りにはバンド、音楽を職業、生業にしているわけではないけど
多くの人に感動を与え楽しみを共有し、なにより本人がライフワークとして音楽を楽しんで活動を続けている
素晴らしいミュージシャンがたくさんいる。
自分が新しいバンドを見つけCDやレコードを買うときにそのバンドがどれほど音楽でお金を稼いでいるか、
ライブに何人のお客さんが入るのか、何枚CDを売ったのか、毎月何本ライブをやっているのか。。。
そんなことを調べてそういった「数字」で、聴くべきバンドなのかを判断するなんてことなどあるはずがないし、
ましてやバンドや曲の評価がその数字によって左右されることなどありえない。
きっとそれは本当に音楽が好きな人は皆同じなのではないかと思う。
だから音楽を聴く側から演る側になってもそんなことに惑わされず自分の歌を歌い続ければいい。
そういったことを熱弁したところ、「実は英語の詩で1曲作ったから聴いてみてほしい」と言われた。
以前「一度英語で歌詞を書いて曲を作ってみたら?」とアドバイスをしたことがあった。
その時はすぐにやってみるという感じではなかったからまさか作ってみていたとは全然知らなかった。
そしてギターを弾きながらその英語詩で書いた最初の曲を歌ってくれた。
手前味噌ではあるけど16歳の桜が書いたその曲の素晴らしさに正直驚いた。
今は自分が若い頃とは違ってインターネットで発信することができる。簡単ではあるけどすぐに録音し
YOUTUBEで公開してみようと話すと、そういうことをやることで何が変わるのか本人も半信半疑では
あったけどやってみることになった。
10年以上使ってなかった自分のバンドを全て録ってきた4trのMTRを久しぶりに出してきたけど残念なことに
故障してしまっていた。。。苦肉の策でビデオカメラのマイクで録ることにした。
ただそのまま録るだけでは面白くないのでエコーが効く狭い風呂場の中で桜はギターを弾きながら歌い、
自分はビデオカメラを構えて一発録りをした。そのシンプルでざらついた音の質感と悲しげでありながら
初めて仕上げた曲の初々しさ、そして桜が自身でその録音した音に合わせて作ったミュージックビデオの雰囲気もあって
とてもいい作品に仕上がった。そして2017年、最初の曲「Nonetheless」をYOUTUBEで公開した。
反応は驚くほどに早かった。
すぐに地元のラジオ局のディレクターから連絡がありラジオ出演のオファーをしてくれた。
そしてライブの誘いも次々もらうことが出来た。
自分のバンドが参加させてもらうライブのオープニングアクトに起用してもらえることも何度もあった。
高校生の間に2枚のCDをリリースすることもでき、さらにいろんな場所でライブを経験させてもらい、
桜は2019年に進学で上京し、現在目まぐるしく音楽活動をさせてもらっている。
子供の頃に夢見ていた、未だずっと先にあるはずのものが見えるまでにはもっと時間がかかるだろうと思うけど
1歩を踏み出した足元だけは見えてきているのではないかと思う。
桜が高校生で音楽活動を始めた頃、本来とても消極的だった小学生のあの時どうして思い切ってカラオケ大会に
参加したのか、その理由を初めて聞いた。
「たくさんの人が集まるところで歌を歌えばプロの人が見ていて歌手にしてくれるかもしれないと思ったから」
なんとか夢を叶えたくてお祭りにあつまった聴衆の中におおよそいるはずのないスカウトしてくれる人を探しながら
一生懸命カラオケを歌っていたと思ったら涙が出た。
あの緊張で震える純真な目線の先には確かに大きな夢が広がっていたのだと思う。
どうして大人は子供のもつ夢をそれが叶いそうなのか叶わなそうなのかを咄嗟に想像してしまうのだろう。
子供の夢は叶えることだけが大切なのではなく持つことこそが大切なのに。
小学4年生の桜があらためて気づかせてくれた。
音楽をすることで得ることが出来るのはもしかしたらそれがお金の場合もあるだろう。
でも得ることができる一番大切なことは人の繋がりだと思う。桜は自分の歌ですでに本当にたくさんの人に
出会い、繋がりが広がって、その人たちのおかげで小さなころに見ていた夢のなかで歌を歌わせてもらっている。
その繋がりは桜にとって、音楽を続けていくうえで、もしそうでなくなってしまったとしても掛け替えのない
大きな財産になっていくはずだ。
そして今回人との繋がりが海をこえ桜自身の歌でアメリカで歌わせてもらうチャンスをもらうことが出来た。
1人の力では出来ることは限られている。そこで助けてくれる人、サポートしてくれる人に常に感謝の気持ちを忘れず、
カラオケ大会で客席に夢を探していたころの純粋な気持ちのまま歌を歌って行くことが出来たら素晴らしいことだと思う。
今回のアメリカツアーでもアメリカの皆さんにとてもお世話になり音楽で繋がりをひろめ、深めることが出来たのではないかと
思っている。
この素晴らしい経験を通してまた一歩、後ろを振り返らずに前に進んでほしいと思う。
そして僕ら親は娘たちがゆっくりでもいいから前に進んでいく後姿を見えなくなるまで見守るだけだ。。。
小松空港の待合所でそんなことをひとりで考えていると飛行機到着のアナウンスが流れアメリカの旅の無事終了をつげられた。
ゲートの向こうに見えた家族に旅の無事を確認し僕の心配の12日間も終了した。
ガラスの向こうにみえたアメリカツアーを終えたSakuraのちょっと誇らしげな姿がほんの少し「ミュージシャン」のようにみえた。
TEXT : 山口ショウゴ ROADSIDE RECORDS
Sakura USA TOUR 2019 MOVIE
Special thanks to:
Gub & Bice and their family, Jughead and EVEN IN BLACKOUTS. Annabelle Lord-Patey and her family, Matt ,
and All people who played together and who helped my family in this USA tour.