STUPID PLOTSがライブ活動を再始動して最初の東京でのライブ2014年のMATSURIの時に酒井君に出会った。その時に言ってくれた言葉はありがたくてずっと忘れないと思う。「STUPID PLOTSを聴いてこんなポンコツでいいんだって思わせてもらえた」本人は大分酔っていたし覚えていないかもしれないけど(笑)これはパンクバンドをやっている自分にとってたった一人にでもこうして何かが伝わっていたんだって思えた一言だった。それから酒井君とはライブを一緒にやらせてもらったり自分たちのライブを観に来てくれたり、軽自動車で東京から奄美へ移住する時に福井にも立ち寄ってくれたり、、、仲良くしてもらっている。バンドやレーベルの活動や酒や釣りなど自分の素のままを隠すことない生き方自体がまるで作品のようでその魅力は彼の周りに集まる人の多さが物語っていると思う。今回はそんな酒井君にこれまでのいろいろなことを話してもらった。
( TEXT : Shogo Yamaguchi (ROADSIDE RECORDS . STUPID PLOTS ) 2021 )
Q : Shogo Yamaguchi ( ROADSIDE RECORDS / STUPID PLOTS )
A : Yu Sakai ( PLUM, BENDER!, 現状打破, 2 sick worry / urban sleep discs )
(Interview date: December 2021 )
Q1. 自己紹介と音楽活動(バンド・レーベル)について教えて下さい。
A. 酒井 裕、1986年3月20日生まれ、だいたいの人が納得なB型です。
バンドは東京に住んでいた約10年間でPLUM、BENDER!、現状打破、2 sick worryというバンドをやっていました。(どのバンドも解散はしていません、よね?)
また、静岡に住んでいた2004年からディストロを始め、当初名義は違いましたが、同時進行で2006年頃からurban sleep discsという手作りレーベルを細々と始めました。
今は鹿児島県、奄美大島に移り住み、魚を突いたり畑を耕したり、主に物々交換などで生活をしています。
Q2. コロナの状況も長引いてきました。この間バンド・レーベル活動やプライベートどのように過ごしてきましたか?また奄美の生活のことも教えて下さい。
A. コロナが本格化してきた頃、奄美はコロナ感染者がいない地域、という無責任な売り文句で旅行会社・旅行者のちょっとしたスケープゴートになっていました。
島民も「まあ大丈夫だろう」というお気楽な人も当初は多くいましたが、最初の感染者が出てからは蜂の巣をつついたような大変な騒ぎになりました。
実は、感染者1人目は自分とも関わりの深い方だったのですが、島という狭いコミュニティ故に、瞬く間に情報が流れ、その後も感染者が増える度に大きな騒動となりました。
今となってはコロナがだいぶ落ち着いてきたのと、いい意味でも悪い意味でもコロナ慣れしてしまったので徐々に平穏な奄美大島に戻りつつあります。
また、私は奄美に来てから一切バンド活動はしておらず、コロナ以前以後共、海に潜ったり、釣りをしたり、酒を呑んだり、呑気な生活をしています。
レーベルに関しては2020年に4作リリースするなど、島に来て時間が出来たのもあり一瞬活発化しましたが、今は次のリリースも考えていない状況です。
何事も無理のない範囲で楽しんでいきたい、と常々考えながら生きているので気が向いたらまた再開するかもしれませんし、全く別の事を始めるかもしれません。
Q3. 酒井君のバンドはどれも青臭いポップなメロディとラフなショボポップパンクと称されるサウンドが最高です。サウンドのこだわりはありますか?これまでにどんな音楽から影響を受けてきましたか?
A. ありがとうございます!自分もショボいサウンドは大好物なので嬉しい限りですが、単に自分の技術がないだけで、あの様な音しか出せなかった、というのが本音です。
カッチリとしたタイトでカッコイイ演奏をしているバンドなどを観ると「どこでそんなテク習うんだろ?」と指を咥える事しか出来なかったですね。笑
音楽遍歴ですが、自分が初めて音楽を意識したのは幼稚園にも入っていない頃の幼少期で、母親が何かの懸賞で当てたSimon & Garfunkelのベスト盤が家で永遠に流れていたのでそれを刷り込まれたのが始まりでした。
小学生の頃はB'z、T.M.Revolution、ビートルズやボンジョビを経由し、最もhideに陶酔していたので、彼が亡くなった時の「これから僕は何の音楽を聴いていけばいいんだろう」という絶望感は今でも忘れません。
その後の高校時代ではthe scariesにも陶酔していたので、彼等が解散した時は「これから何を聴けばいいんだ」という絶望を再び味わいました、音楽で絶望したのはこの2回だけです。
Q4. レーベルを始めたのはいつ頃ですか、どういったきっかけで始めましたか?またレーベルでは海外の国内ではまだ誰も知らないようなカッコいいバンドをリリースしていますがどうやってそのようなバンドを見つけていますか?
A. ディストロを始めたキッカケはLINECUTというバンドに出逢ったからなのですが、レーベルを始めたキッカケはpastel story boardというバンドに出逢ったのが始まりです。
彼等はフィジカルでの音源すらないバンドだったので、本当に少人数でもいいから少しでも彼等の音を聴いて欲しいという、ディストロを始めた時と同様の想いでスタジオテイクの音源を作りました。
当時は知識もお金も全く無かったので、市販のCDRをパソコンで書き込み、インクジェットのボロいプリンタでジャケットやインナーなどを印刷するロークオリティで手間だけかかる作業をしていました。
確か5、6作目まではその様な形態でリリースし、それぞれ作った枚数も4、50枚という「レーベル」と名乗るのすらおこがましいお粗末な感じでしたが、プレス工場に頼めば簡単に音源が出来てしまう現状に比べて、謎の熱量と想いは強かったかなと思います。
海外のバンドに関してはディストロ繋がりでリリースに至ったり、知り合いからの紹介だったり、現地で出逢ったり、向こうから話が来たり、たまたまインターネットで耳にしたり、とキッカケは様々です。
ディストロを始めた頃はpaypalやwestern unionなどの存在も知らず、荷物に直接紙幣をねじ込んで海外に送ったりと違法&無謀な事をしていましたが、リップオフされた事は南米で1回あったくらいでしょうか。
今やり取りしてるメキシコのバンドから半年経った今も荷物が送られて来ない現状も進行形でありますが、その辺はwaterslideカズさんのほうが色々経験しているのではないかなと思います。
Q5. 初めてバンドを組んだのはいつごろでどんなバンドでしたか?(文化祭等)またこれまでのバンド遍歴も教えて下さい。
A. 私は全く楽器も演奏出来ず、自分でバンドをする、という考えすらない人間だったのでバンドを始めたのは上京してからでした。
確かお茶の水でdoes it floatによるライブの打ち上げだったかと思うのですが、上京前から繋がりのあったSHORT STORYの超君とタチハラ、西荻窪WATTSでAction from ideaという企画をしていた古川の4人が偶然同じ卓になって。
当時、Against Me!のベースだったアンドリュー・シュアードみたいな髭面の私を入れてバンドをやろう、みたいな話になって結成されたのがBENDER!の始まりだったかと思います(2008年頃)。
楽器の演奏すら出来ない自分を誘ったのは今でも無謀だなーと思いますが、その後自身のバンドとして組んだPLUMでも楽器を演奏したことのない2人を誘ったので、当時は何も考えていなかったのかもしれません。
現状打破は中野の泪橋でAmazing recordsの笹谷と呑んでいた際に紹介されたffeeco womanの小野寺と組んだアコースティックユニットです。
何故か初めて出逢った小野寺にビビっときた私は突発的にギターユニットを組もうと話を持ち掛け、その日のうちに半ば無理やり組んだのが始まりでした(2009年頃)。
私はギターを弾いた事が無かったので何故ギターユニットだったのか今でも意味不明ですが、中野の運動公園で行われた最初の練習で全くギターの弾けない私に明らかなイラつきを見せた小野寺の顔を思い出すと今でも笑ってしまいますね。笑
その後は、夏になれば2人旅をしたり、PLUMの1stアルバムをレコーディングからマスタリングまで担当してくれたり、夜の中野を2人で徘徊したり、何かと東京時代に付き合いの深かった、かけがえのない友人と組めたユニットでした。
思えば現状打破で山形に遠征した際に着いてきた男が2人いて、1人はレンタカーを借りて「さあ出発だ」となった当日、シレっと急に現れ、最初から最後まで1番楽しんでいて、誰なんだコイツは?と思っていた男(現imakinn recordsのいまきん)。
もう1人は当時AGE13というソロで燻っていた現SHIPYARDS/andoh coffeeの安藤君だったのをこのインタビューでふと思い出して、色々繋がってたんだなあって懐かしくなったりもして・・・、ありがたい話です本当。
【BENDER!】
【現状打破】
PLUMはメロコアやポップパンク、ハードコアなんでもやりたくて私が主体で組んだバンドで、ディストロ繋がりで知り合った楽器未経験の小池、長尾と結成しました(2008年頃)。
2年間の沈黙期間の後、徐々に動き始めて2012年にアルバムを録り終えた後にドラムがLIFE STYLEのヒデちゃんになり、2014年頃には現THE SATISFACTIONのまっつとなりました。
結成当初、does it floatの松本にPLUMが目指す音は1stEPの頃のComeback My Daughtersだと言われ、Morning Morgantown Bandのショーン君にはPESTMENを彷彿とさせるとのお言葉を頂いたりもしましたが、当時の私が目指していたサウンドはblink-182でした。
1stAlbum、カセットEP共に何故かチリでリリースされ、局地的なファンを獲得したりしましたが、今思い返してもニッチなバンドだったなあと思います。
2 sick worryは以前からffeeco womanの三石君とジャケがゴアくて何て書いてあるか解らないバンドロゴのグラインドバンドやりたいね、と話してた与太話を具現化したバンドです(2014年頃)。
他のメンバーは釣りや旅行など日常的によくつるんでいたTonguesいまきんとthe weddingsのD市川でしたが、最初の練習で何故かthe weddingsのもう1人、加納も現れ、当初は5人編成でのバンドスタートでした。
2週間のハードコア期を経て、やっぱ無理だと判断し、「スポーツコア」という謎のキャッチを掲げ、活動していましたが音が定まらず加納が円満に脱退、オムニバスに1曲、3曲入りのデモをリリースし、私が奄美に移住してしまいました。
島に行く際は、それほど周りに経緯や思惑を伝えず、フラリと東京を離れてしまったので、実際に友達はあまり気にしていないかもですが、今でも身勝手に居なくなってしまい申し訳なかった気持ちがあるのも事実です。
【PLUM】
【2 sick worry】
Q6. いろいろなバンドのジャケットデザインをしていますね!どういう経緯でデザインをするようになりましたか?またこれまでのデザインで印象に残っている物や思い出エピソードなど教えて下さい。
A. 自分は普段から絵を描いたりする様な人間ではありませんが、昔から絵を描くこと自体は嫌いではありませんでした。
初めて絵を寄稿したのは当時仲の良かった茨城のバンドTOO CLOSE TO SEEの『Something nostalgic,something precious.』に挿絵を描いてくれないか?と頼まれた時でした。
その後は自分のディストロやレーベルの封入物などに描く程度でしたが、現slugger machineでありRAFT recordsの吉野にwithoutというバンドをリリースするからジャケット等お願いできないか、と依頼されてからRAFT関連作にはちょこちょこ寄稿しています。
この頃からスリッチというボールペンの0.3mmで1発描きするスタイルがしっくりきていて、個人的にはwithoutによる『westgate no.5』という作品には、音源の世界観にもマッチした絵が描けたのではないかなと思っています。
また、the Steadys太君の地元逗子には泊りで釣りに良く行き、両親とも仲良くさせてもらっていたので、『THE KEY TO ALL JOY』では想い入れの強い土地への思いを馳せたジャケットに仕上がったかなと感じてます。
Q7. バンド・レーベルを始めた当初目標や夢はありましたか?
A. 昔から漠然と「有名になりたい」という想いはありました。それがどういう意味なのか、その自信がどこから来るのかはわかりませんでしたが、10代後半~20代前半まで変な野望は持っていました。
東京に出てきた当初はその影響からか、「私は周りとは違う、特別な存在なんだ」と根拠の無い虚勢を張っており、我ながら寒い奴だったなと思います。
結局自分はいたって普通の人間だし、何か特化した技術やセンスがあるわけでもないので、年齢を重ねるごとにその様なプライドがバカバカしくなり、もっとイージーに、もっとシンプルに生きるようになりました。
人間関係や日々の生活において、余計な不安や関係性をそぎ落とす事の「生き易さ」と、自分をさらけ出すことの「気楽さ」に気付いてからは、見栄や意地などに囚われず、ただただ感覚的に毎日を過ごしています。
もちろん最低限の気遣いはしているつもりですが・・・(自己中と自由は全くの別物なので)。
Q8. バンド・レーベル(プライベートでも)の現在の目標や夢はありますか?
A. 特にありません。
元々目標や夢などを持たないタイプなので、その日その日、眠りにつく時に「今日もいい日だったな」と思えたらそれで良いです。
とは言え、当然いい日ばかりなわけもなく、嫌な気持ちで就寝する時もあるのですが、自分は翌日にあまり持ち越すタイプではなく、翌朝目が覚めたらリセットされているので、楽な性格だと思います。
Q9. 人生においての重要な5曲(またはバンド、音源単位でも)を教えて下さい。その曲についての思い出やエピソードも教えて下さい。
A. 曲単位だと難しいので、私的パンクロック音源5選にしてみました。
■the Suicide Machines - Destruction By Definition
PUNKという音楽の存在を知って以来、5枚目に手に取った1枚であり、「パンクロック」という音楽を初めて強く意識したアルバムでした。
当時、茨城県の土浦市に住んでいた自分は、モール505という寂れた駅前のショッピングモールにあったドルフィンレコードでこの作品を手にしました。
曲単位のメロディの良さ、スピード感、やんちゃさ、長い目で見ても完成されたアルバムだと思いますし、私にとってこのアルバムがパンクロックのお手本の様な1枚です。
■NOFX - Heavy Petting Zoo
アルバム単位での完成度では『white trash』に軍配ですが、個人的な思い入れと音的な好みだとこのアルバムがNOFXのベストです。
特に2曲目の「Philthy Phil Philanthropist」ではJ-POPや今まで触れてきた音楽とは明らかに異なるこの曲に「パンクって自由な音楽なんだなあ」と思った記憶があります。
何より、NOFXという名前は知りつつも、情報が無く、何作出ているかも分からず、NOFXというワードを見つけたら片っ端から手に取るスタイルで音源を探していた当時、学校帰りに毎日寄っていたブックオフのパチモンみたいな店舗で見つけた思い出の1枚です。
思えば、その店はSatanic Surfersの「Skate To Hell」やStarmarketの1stがあったり、face to faceの作品が3枚急に並んだり、当時の私を構築した変な店でした。
There's something wrong with mass consumption
Why do we want what we don't need
There's something grand about being nothing
There's something lame about being grand
「Philthy Phil Philanthropist」の歌詞からですが、その通りだと思う今日この頃です。
■the scaries - wishing one last time
高校の頃、Navelとscariesに出逢って私の音楽的趣向は確立した様な気がします。
今作の「disappear」のイントロが初めて流れた時の、パァッと頭が真っ白になった感覚は今でも鮮明に覚えています。
南国のイメージが先行する奄美ですが、冬は北風が吹き非常に寒いです、星空はもちろん抜群ですが、12月に入り、奄美もscariesが似合う季節になってきました。
■RANDY - rest is silence
前作『There's No Way~』も長年聴き続けているので非常に迷いましたが、音圧やバランス面でこちらのほうが好みなので今作を選びました。ストレートなメッセージを抜群の演奏力と圧倒的なメロディの良さ、そしてこのスピード感で駆け抜けるんだから堪らないですよね。
初めて聴いた時の衝撃は未だに忘れないし、今でも新鮮に思える今作も、高1の頃に『Heavy Petting Zoo』と同じ店で手に取った思い入れの強い1枚です。
どうしても私は意識してしまうのですが、先駆者PROPAGANDHIの「How to Clean Everything」と同ベクトルで、最高な1枚だと思います。
I choose not to participate in things i dont like.
I dont care for the price is high as long as i know im right.
「At Any Cost」より。
■Jawbreaker - 24 Hour Revenge Therapy
正直、私はJawbreakerもLEATHERFACEもドストライクの音ではないです。
ただ、何故か定期的に肩を寄せたくなるというか、ふと耳にしておきたい時期が訪れたりする不思議なバンドなのです。
「Do you still hate me?」なんて私の為に書いてくれたんじゃないか、と勘違いしてしまうくらい女々しくて愛おしいですし。
これはSamiamもなのですが、たまに心に雲が掛かった時、車を走らせながら、寄り添って欲しいのはこの様なバンドだったりしますね。
ps : ちなみに、NEW FOUND GLORY、MILLENCOLIN共に直近の2作は素晴らしいと思いますし、face to faceやbodyjarも最近の作品は最近の作品でとても良いと思っています。
ただ、思い入れなどを加味するとやはり上記5作のような少し昔の作品になってしまいまいますね。笑
Q10. これまでに観たライブで特に印象深いライブを3つ挙げて下さい。思い出やエピソードも教えて下さい。
A.
■BOOM BOOM KID 2010/9/18(土) @東京 中野 Moon Step
東京に居た当時は週末になる度にどこかのライブへ遊びに行く様な生活をしていました。
アルゼンチンから来たこのバンドのライブも何の気なしに行ったのですが、実際に目の当りにした彼等は非常に衝撃的でした。
ライブ前にVoのカルロスと話をしていたのですが、その時は背がちっこくて少し気難しそうなひとだなあ、程度の印象でしたが。
演奏が始まるやいなや、圧倒的な存在感を放ち、縦横無尽に動き回るステージングは野性的で、観る人を惹き付ける不思議な魅力に溢れていました。
ほぼノンストップでフルスロットルなパフォーマンスをしていたのはDESCENDENTSも同様でしたが、近距離で感じたあの熱量分、このライブを選ばせて頂きました。
■does it float 2015/8/8(土) @リーズのどっか
2015年にdoes it floatがイギリスにツアー行くってことで、一緒に行こうと誘われたのでどうにか色々工面して行ったツアーのラストライブを選出しました。
というのも、最終日の前日行われたライブでdoes it floatは思う様なライブが出来ず、普段大人しいGuの松本が珍しく感情的になっていたのがとても印象的で。
それもあってか最終日のライブは全てを払拭するような素晴らしい出来で、本人達も満足そうだったので、「ああ良かったなあ」と素直に思った記憶があります。
またこの旅は、すんなりイギリスに入国してしまいNavelトミさんに「おもんね」と一蹴されたのもつかの間、トランジットのカタールに自分のカバンだけ置き去りになるドーハの悲劇が起きたり。道中、Crackle!からリリースもあるGROVERのライブを観て、GROVERの兄弟はHOLIDAYのメンバーである事を知り、編集盤へのリリースに繋がったり、な出逢いもありましたね。
■the scaries 2009/4/6(月) @東京 八王子 RINKY DINK STUDIO 2nd 8st
最初の来日には行けなかったscaries、2回目の来日公演で念願叶ってようやく彼等を観れたので印象に残っています。
ブランクもあると思うし、多少の年齢も影響してると思うのでやはりスピード感はなかったですが、思い入れの強いバンドだったのでライブの最中初めて泣きました。
実際に逢った彼等は、以前からメール等でやり取りはしていたのでお互いにようやく逢えたねって感じでしたが、自分が着ていたGAMEFACEのTシャツに「No Gameface!」と書いたのはさすがだなと思います。
ps : 次点で、2019年にインドネシアに行った際に観たHONG!という地元バンドのライブも印象に残っています。
存在感のある人間がいるバンドって魅力的なバンドが多い気がするのだけど、HONG!のVoゲリーも謎のカリスマ性があって魅了されました。
本当はリリース予定であるAche目的でインドネシアへ行ったのだけど、ライブに関してはHONG!に1票。皆さん要チェキでヨロシクね。
あと、2013年に来日したAgainst Me!渋谷O-EASTで、SHORT STORYタチハラと裏口から侵入して、ケータリングの弁当パ〇ったりAgainst Me!の楽屋に乗り込んだのも良い思い出です。
【THE SCARIES】
【HONG!】
【with AGAINST ME!】
Q11. これまでやってきた自身のライブで印象深いライブをいくつか教えて下さい。思い出やエピソードも教えて下さい。
A.
■fall into lines Vol.1 2009/07/19(土) - 20(日) @方南町 STUDIO TOTS
自分のバンドではないですが、Amazing recordsとurban sleep discsで企画したこのライブが印象に残っています。
というのも、ライブ数日前からAmazing records笹谷が音信不通になり、結局当日も現れず、そのまま企画を敢行するという不安だらけの幕開けだったからです。
ただ、始まってしまえば、「メンバー全員いるし家が近いから機材持ってこれる」という理由でBLOTTOが飛び入りで演奏したりと、面白おかしい空間だったかと思います。
shinobuのメンバーBobがBearsというバンドで当日出ていたので、Bobのレーベルからリリースもある当時銀杏BOYZのメンバーだった方も来ていました。
■HOLIDAY SCUM MATINEE Vol.02 2013/4/28 @西荻窪 Studio 楽音 6st
PLUMで呼んで頂いたライブで、普段と毛色の違うバンドと一緒に出来た事と、幼児旅団でありNavelのDrでもあるタクミさんがイベントか何かでコケて、当日腕を折って現れた様な記憶もあって選出。
また、この日以降タクミさん、太君(the Steadys)と共に毎年釣り遠征に行くメンバーの1人であり、これから長い付き合いとなるChristian Erb柿ちゃんともこの日初めて逢った思い出のライブです。
当日はライブ後、「PLUMめちゃ良かったです、音源ディストロさせてください!」と異常な熱量で迫ってきた彼はだいぶヤバイ奴だと思いましたが、あながち間違いではありませんでしたね。
■Yu Sakaiさよならパーティ 2018/8/1(水) @BASS ON TOP 中野 211st
Amazing records笹谷が企画してくれた私自身が現時点で最後に演ったライブです。
BENDER!の盟友Lack of Senseとのド平日ライブでしたが、こんな自分でもこの様に集まってくれる友達がいて本当に幸せな人生を過ごさせて頂いてるなと感じました。(BENDER!のライブ自体は早々に泥酔した私と古川のおかげでそれはもうひどいひどい内容ではありましたが・・・。)
ライブ後、家が無かった私は笹谷の家に泊めてもらう為、チャリで2人乗りして帰ろうとした矢先、サンダルが車輪に挟まり大コケし、ヒザの肉がえぐれる大怪我をしたのですが、今ではそれも良い思い出です。
Q12. 読んでくれた皆さんに一言メッセージをよろしくお願いします。告知もありましたら!
A. 長々とお付き合い頂きありがとうございました。
旅行、ハネムーン、現実逃避、なんでもいいですが、奄美に来たら皆さん是非1杯やりましょう。
ps : この様な機会を設けてくれたSTUPID PLOTSショウゴさん本当にありがとうございます。また恐竜観に行きましょう!
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