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自分のバンドSTUPID PLOTSがライブから離れていた00年代、アメリカツアーを敢行し、新しい大きなイベント「大合奏会」を企画し、何より熱くラフなメロディックパンクがむちゃくちゃカッコいいバンドFOUR TOMORROWを気にせずにはいられなかった。10年代に入りSTUPID PLOTSはライブを再開しそのFOUR TOMORROWのメンバー長沢君と知り合うことができて彼が加入したもう一つのバンドFLATBOWLとなんども一緒にライブをすることができた。ライブでも打ち上げでもいつもその場の楽しさを何割増しにもしてくれる長沢君に当時のことなどいろいろな話を聞いた。

( TEXT : Shogo Yamaguchi (ROADSIDE RECORDS . STUPID PLOTS  2021 )

Q::Shogo Yamaguchi ( ROADSIDE RECORDS / STUPID PLOTS )

A::Noriaki Nagasawa (  FOUR TOMORROW / FLATBOWL / MC JAPAN )

(Interview date: September  2021 )

Q1. 自己紹介と今やっている音楽活動(バンド・ソロ)について教えて下さい。

A. 長沢典明と申します。FOURTOMORROWでベースとボーカル、FLATBOWLでベースとコーラスを担当しています。あとはMCJAPANという名前でごくたまにラップをしたりしてます。今年で42歳になります。

Q2. コロナの状況も長引いてきました。この間バンド活動はどのようにしてきましたか?

A. うちはFOURTOMORROWが1人海外、FLATBOWLが1人石川県にメンバーがいて、もろにコロナの影響でバンド活動が出来ていないですね。コロナ禍、FLATBOWLでは2、3回スタジオには入りましたが、自分以外家庭のあるメンバーなので、こういう状況下で都内に集まる事に対する家族の気持ちなどを考えるとどうしてもバンド活動は後回しになっているのが現状です。

FOURTOMORROWに至っては昨年1月にライブしてからバンド活動はまったく止まっていますね。海外にいる山岡以外のメンバーとはちょこちょこ会っていますし、オンラインで4人で話はしたりしていますので、コンタクトはとっていますが。こんなに長い間ライブしないのは結成20年を越えて初めてなのですが、FOUR TOMORROWに関しては「いつもそこにあるもの」という意識があるのであんまり不安はないです。とはいえ、さすがにそろそろスタジオ入ったりライブしたくなってきましたが

Q3. FOUR TOMORROWを始めた頃のシーンはどんな感じでしたか?大合奏会はどういう想いで始めましたか?エピソードや印象深かったこと教えて下さい。

A. FOURTOMORROWを結成したのは1999年、初めてライブしたのが2000年だったと記憶してるんですけど、当時はメンバーの山岡の前身のバンド(SIDEGORI)の繋がりで西荻窪watt'sというライブハウスでよくライブしていました。DASHBOARDの企画PING!PONG!!PUNK!!!のひとバンド目はだいたいうち、という時期が1年か2年くらい続いた気がしますね。ピンポンでは本当にたくさんのバンドと対バンさせてもらって、凄く刺激を受けました。

同時期、うちの2回目のライブをたまたま観に来ていた客に「スプロケのライブよく来てたよね?俺もバンドやってるんだけど今度見に来てよ」って声を掛けられまして。それがFIFTHWHEELというバンドの藤木という男だったんですけど。彼等とOUT OF STYLe

の共同でKEEP ON THE SMILEという企画があって、そこでも友達が増えていったと思います。藤木もアウトブも自分達と同い年で、それもあってすごく仲良くなりましたね。

大合奏会は、ある日突然山岡が朝方4時くらいにメンバーに「スタジオ全部貸切にして小さいフェスみたいなのやったら面白いんじゃないか!」ってメールしてきました。普段そんな時間に連絡してくる事ないやつなので、直樹が後々「あいつ、あんときク〇リやってたんじゃないか?」って疑ってましたね(笑)最初は自分はいまいちピンときてなかったんですけど、6年続けて美しい景色をたくさん見ることが出来て、あー、あのときこれを想像して、いてもたってもいられなくなって山岡はあんな時間に連絡してきたのかな、と思いました。思い出は本当にたくさんあるのでキリないんですけど。1年目の打ち上げが人がいすぎてひとつの店じゃ入りきれず何店かでバラバラでやった事の反省を踏まえて、翌年から事前にお店を貸し切りでおさえて、全員で打ち上げ出来る様になった事が印象深いですかね。会場近くの「我が家」という居酒屋でした。毎年200人くらい参加で打ち上げしていたんですけど、その時期はいつも休みなのに店を開けてくれて、なおかつバイトの人数を増やしてくれたりで本当によくしてもらいました。個人的には、そして他の3人もたぶん似たように感じていると思うんですが、打ち上げこそライブする意義だと言っても過言ではないと思ってるんですよ。毎年あそこで乾杯の音頭を取った後に200人がいっせいにグラスを掲げた景色は今でも忘れないですね。

【大合奏会 Flyer 】

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Q4. 2011年のアメリカツアーはどういう経緯で?アメリカツアーでのエピソードや思い出、印象深かったこと教えて下さい。

A. 2009年とかその辺だったと思うんですけど、クリスというアメリカ人がライブを見に来て、打ち上げで話して仲良くなって、我々が住んでいる埼玉の友達の家に下宿してるというので帰りにうちの車に乗せて送ってあげたんです。車内ももちろん色々話をしたんですけど。AGAINST ME!だったかな?ミッチーか誰かがDVDを貸してあげる事になったんですけど、返す刀でクリスが流暢な日本語で「借りパクしていい?」って言ってきて。もろアメリカ人が流暢にそんな事言うのすげー面白くて、それでめちゃくちゃ仲良くなりました。で、アメリカに帰ったクリスが我々を呼んでくれたのがざっくりした経緯です。向こうに行ったときはクリスの友達のたっちゃんという日本人にもお世話になって、めちゃくちゃ仲良くなりましたね。

あのツアーは自分の人生で楽しかった事ベスト5に入る出来事だったくらい大きい思い出なので、エピソードもたくさんあってここで紹介するのは余りにもスペースが足りないんですけども。かいつまんでサザエさん風に言うなら、「直樹、機内で気絶する」「FOURTOMORROW、OPIVのJesseとギルマンにて邂逅する」「直樹、結婚指輪をギルマンで紛失」「山岡、suburbiaworksあきら、飛行機に乗り遅れる」等々盛りだくさんで、そこら辺の細かい話はうちのHP内の「日々徒然」というブログに当時たくさん書いたので興味あったら読んでみて下さい。

Q5. 2016年(?)にはFLATBOWLに加入しましたがどういう経緯で?

A. 2000年頃に活動休止後、当時活動を再開していたFLATBOWLだったんですが、ベースのカネハラ君が仕事が忙しくてライブもままならない状態だったんですね。で、地方遠征に参加出来ないカネハラ君の代打で自分とタイタイ(現does it float)で3曲くらいずつベースを弾きました。ボーカルの堀井君は石川県に住んでいて、ちょこちょこ関東に遊びに来てはタイタイの家に泊まっていたんですけど、自分もそこにいつもいて仲が良かったんですね。その関係で誘われてサポートしてました。当時はまだ他のメンバーとはほぼ面識もなかったんですけど、大人の遠足マジックで人見知りな自分が堀井君以外の3人とたくさん話をする事が出来て。何度かそういう遠征を経た後、正式にメンバーとして加入してくれないかと誘われました。自分はベースのスキルが著しく低いので、期待に添える事が出来ないと最初は丁重にお断りしたんですけど、断った後も誘ってくれまして、そんなに言ってくれるならと加入する事になりました。偉そうに聞こえるかもしれませんが、選択するという意味でこちら側の意見として、堀井君はもちろんなんですけど、モリさん、ジャッキーさん、深貝君の3人の人柄もあって、このメンバーならバンドとして活動していけるかなと思ったのもあります。個人的に、バンドは音楽的な趣味はもちろんですけど、自分の中で大事な価値観が同じである事が必須条件だと思っていて、FLATBOWLのメンバーはそれを共有出来ると思っています。FOURTOMORROWとはまた違った感触でものすごく仲間意識が今はあるので、コロナ禍で会う機会はだいぶ減りましたが、チームとしての不安はあまりないですね。

Q6. FLATBOWLとして参加しているLIFEというコンピレーションの企画をしましたね。素晴らしい企画だったと思います。どんな想いで企画しましたか?

A. LIFEは、SHORTSTORYの超君から「一緒にコンピを作りませんか」と誘われました。「くすぶってるバンドを集めて、音源とかライブとか発表する場を作ろう」がコンセプトで、当時メンバーが海外に転勤になってバンド活動が減っていた自分とそのコンセプトが合っていたと思って声を掛けた、と後で教えてもらいました。超君は元々仲は良かったですが、こういう形で何かを作る事を誘ってくれるのは凄く特別だと感じたので、腰は重いタイプの人間なのですがオファーを受ける事にしました。話をもらってから、参加バンドや音源の形態など2人で話し合いを重ねました。完成するまで1年以上かかり、正直もう一度やれと言われるともういいかなと思うほどの労力だったのですが、出来上がったものが非常に満足のいくものだったので超君には本当に感謝しています。レコ発を2020年2月1日に行ったのですが、コロナが世間で騒がれた時期ギリギリだった中、無事に開催出来て良かったです。レコ発の翌月に病気でこの世を去った、03ooiのメンバーであり、20歳の頃からDASHBOARDとして付き合いのあったしょうじの生前最後のライブだった事もあり、自分にとって特別な1日として記憶に残っています。

【V.A. CD  LIFE】

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【LIFE release live flyer】

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Q7. MC JAPANとして有田プロレスインターナショナルのオープニング曲はどういった経緯で? MC JAPANの活動は?

A. 番組制作会社を立ち上げた中学の同級生から、「長ちゃん、『有田と週刊プロレスと』って番組知ってる?」とある日連絡が来ました。アマゾンプライムでやっていたその番組は物凄く好きだったのですが、その同級生の会社が作っていたのをそのときに教えられました。好きな番組を友達が作っていた事に物凄くテンションが上がったのですが、その後継番組のオープニングテーマでラップしてもらえないかと誘われたときはけっこうな驚きでした。製作費をおさえるという事もあったみたいですが、素人の遊びでやっていたラップをちゃんとしたコンテンツに乗せる事なんかあり得るのかと半信半疑な中、あれよあれよという間に採用される事になって一生残る思い出になりました。番組は終わりましたが、アマゾンプライムに加入している方は全話見る事が可能なのでもし良ければ観てみて下さい。

 MCJAPANの経緯なのですが、2010年頃スタジオで働いていたタイタイが独立して自宅でレコーディングスタジオを始めたタイミングで、HIPHOPの仕事が増えたのでノウハウが少しわかったから遊びでちょっとラップやってみない?と誘われました。当時、仕事が終わったタイタイの家に夜中の12時頃遊びに行って、そこから酒飲みながらトラックをつくってリリック書いてレコーディングする工程を朝方までに終わらせるっていうのをやっていました。ラップなんかやった事ないけど、それっぽくない?って2人で笑いながら一晩で1曲出来るのが楽しかったのを覚えてます。その後、A PAGEOF PUNKのツトム君のパン屋のオープニングパーティーでサプライズで2人でラップしたのが初めてのライブで、1年くらい2人でgreen brew MC'sという名前で何度かライブしました。タイタイが、自分はラップ向いてないからもうやめると宣言してそこからはソロでMC JAPANという名前でたまにライブするようになりました。有田プロレスインターナショナルのオープニングテーマも当然タイタイがレコーディングしてくれたのですが、きちんと商品として成立するようにパッケージしてくれて、採用されたのはタイタイの腕によるところが大きく感謝しています。

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Q8. 初めてバンドを組んだのはいつごろでどんなバンドでしたか?バンドを始めた頃夢や目標はありましたか?

A. 高校の同級生だった現FOURTOMORROWの直樹と一緒に3年生で組んだのが初めてのバンドです。ハイスタに憧れてコピーから始めました。卒業式に体育館でNEW LIFEとGROWINGUPの2曲を演奏したのが人生で初めてのライブでした。当時、「俺たちはハイスタみたいになるし、やりたい事決まってるんだから大学行くのはダサい」と思って進学しなかったんですけど、大学いっとけば良かったと今めちゃくちゃ後悔してます。

Q9. 現在の夢や目標はありますか?

A. 人生で自分が幸せだと思う事をきちんと選ぶ、というのが今の目標というかテーマですね。あとは、数年前までまったく諦めていたのですが、死ぬまでに一回結婚してみたいと思っています。

バンドの話で言うと、両バンドともコロナ前にアルバムを作ろうって話を進めていたので早くとりかかる、というのが目標ですかね。こればっかりは世間の状況によるところも大きいので自分達でどうにもならないところもありますが。

Q10. 人生においての重要な5曲(またはバンド、音源単位でも)を教えて下さい。その曲についての思い出やエピソードも教えて下さい。

A. バンド、曲、アルバムのカテゴリーをごちゃまぜで影響を受けたもの5つ挙げていきたいと思います。

 

1.CHAGE&ASKA

小学5年生で買った初めての音源がチャゲアスのTREEというアルバムでした。音楽を好きになるきっかけですね。

 

2.Hi-STANDARD「GROWING UP」

先ほども挙げましたが、自分の現在のバンド人生の原点はハイスタなのでかなり影響は大きいです。高校2年生で買ったGROWING UPは今聴いても別格でかっこいいし、いつ聴いてもあの時の気持ちを新鮮に思い出させてくれます。

 

3.SPROCKET WHEEL

ハイスタをきっかけに知ったスプロケで、ライブハウスに行くきっかけをもらいました。今回、このインタビューの機会をもらったSTUPID PLOTSと出会ったのもそうですし、バンドを始めたきっかけも完全にスプロケのおかげです。ありがたいことにメンバーの皆さんと仲良くしてもらえるようになった今ですが、自分がバンドを始めたときに解散していたこともあって未だに対バンした事がないので、いつか一緒にライブしたいと思っています。

 

4.ももいろクローバー「走れ」

2011年に知って、大人になってから大きく衝撃を受けたグループの1番好きな曲です。

自分の葬式で流して欲しい曲です。

 

5.H Jungle with T「WOW WAR TONIGHT」

当時、小室哲哉もダウンタウンも好きな自分が、小室プロデュースで浜ちゃんが曲を出すと発表したとき、「そういうの絶対いい曲になるわけないしケチつくからやめといた方がいいのに!」と反射的に思ったのですが、そういう自分の小さな器で思った感想をふっ飛ばした名曲。すげえ人同士だとちゃんとすげえとこに着地するんだ!という驚きと、当時引くほど金持ちだったはずの小室哲哉があの歌詞を書いた事の凄さを大人になってから気づいて、改めてすげえ曲だなと思っています。そういう意味で、思春期の自分も大人になった自分もきちんと感動させてくれる人生を通して聴ける曲ですね。

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Q11. これまでに観たライブで特に印象深いライブを3つ挙げて下さい。思い出やエピソードも教えて下さい。

A.

1. 下北沢シェルターでのDISCOUNT来日ライブ。1998年頃だと思います。対バンにBLEW、NAVEL、CIGARETTEMANと日本勢も贅沢なラインナップで、最高だった思い出が今も鮮やかに思い出されます。
(※追記:2022年6月 、高校生の頃の自分の日記が出てきまして、この日の対バンはNAVELではなくスプロケだったということが判明しました!「ベスト3」とか言って間違えててNAVELの皆様大変失礼しました! 補足という名の言い訳させて頂くと、同じシェルターでCIGARETTEMANとNAVELのライブを見まして、それと記憶がごっちゃになっていたと思われます。 その日もすごく良いライブで「ここにスプロケいたら最高だったなー」って記憶がありまして、それで勘違いしてたんでしょう。 その日も確かBLEW出てたと思うのですが、ここまでくると俺の記憶はあてにならないので笑、断言はしないでおきます。(2022年6月))

 

2. 2005年フジロックフェスティバル。FOURTOMORROWの4人で2泊3日で遊びに行きました。ひと月くらい前からテントを買ったり、出演する知らないバンドの音源を予習していったりの準備段階のドキドキと、当日3日間の最高な時間と全部が思い出深いです。このときに知ったyonder mountain string bandのライブが特に印象深く、後にうちが出したライブDVDのアウトロでこのバンドの曲を使ったりしました。

 

3. 舞台「ウレロ未公開少女」

2011年に一発撮りのシチュエーションコメディーとしてテレビ東京で放送されたウレロ未確認少女の舞台版。DVDboxの購入特典で応募したのが見事当選して観に行く事が出来ました。テレビ放送が物凄く好きだったのはもちろんあるんですけど、実際に舞台を観て、ライブでもこんなに面白い事が出来るんだなあと衝撃を受けたのを覚えています。お笑いは子供の頃から好きでしたが、生で観る事がほぼなかったので音楽のライブとは違った新しい経験がありました。

Q12. これまでやってきた自身のライブで印象深いライブをいくつか教えて下さい。思い出やエピソードも教えて下さい。

A. さきほどのアメリカツアー、大合奏会は重複するのでそれ以外で思いつくものを挙げてみました。3つともFOURTOMORROWのライブです。

 

1. 2006/11/28西荻窪watt's閉店ライブ

初期FOURTOMORROWのホームであった西荻窪watt'sの閉店に、DASHBOARDが企画して昼から夜までぶっ通しで開催されたライブ。watt'sは本当に思い出がたくさんあったので、色々思うところがあり今でもライブの様子をしっかり覚えています。何事もいつまでも続く事はなく終わりがあるという事を実感として教えてもらったライブでした。

 

2. PUNKAFOOLIC!BAYSIDECRASH2010

晴海埠頭の特設ステージで大型トラックの荷台をステージにした野外ライブ。人気バンドもたくさん出ていてうちが出るような企画ではなかったのですが笑、人がたくさんいる中で大きいステージでライブする事などあまりないので物凄くいい経験をさせてもらいました。ライブ中、ベースを弾いてるときにふと上を見上げたら雲一つない青空で、視界が青一色になったのが物凄く気持ちよくて、演奏中にあんな景色見たのが後にも先にもあれ一度だったので印象深いです。

 

3. 2014年RVIVRJAPANTOUR

有難い事に東京、長野の二箇所で一緒にライブさせて貰いました。大好きだったRVIVRを初めて生で見る事が出来たのも最高でしたし、一緒にライブ出来るのも貴重な経験でした。同じくRVIVRが好きな堀井君がツアーに着いてきて一緒に興奮してたのをよく覚えています。生で観るwrong way one wayは本当に最高でしたね。

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Q13. 読んでくれた皆さんに一言メッセージをよろしくお願いします。

A. 長くなってしまいましたが、ここまで読んでくれた方、どうもありがとうございました。FOURTOMORROWもFLATBOWLも今のところ活動の見通しが立っていませんが、またライブをするときはよろしくお願いします。

FOUR TOMORROW Facebook page : https://www.facebook.com/fourtomorrow/

FOUR TOMORROW HP :  http://fourtomorrow.jp/new.html

FOUR TOMORROW BLOG 「日々徒然」アメリカツアー(山岡氏編) ➡ HERE

FOUR TOMORROW BLOG 「日々徒然」アメリカツアー(長沢氏編)HERE

V.A. CD 「LIFE」ORDER : https://littlehand.ocnk.net/product/6563

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​About【STANDING TALK AT ROADSIDE】➡ HERE

【FOUR TOMORROW  USA TOUR 】

【FLATBOWL / LIFE release Live】

【FOUR TOMORROW  大合奏会 2011 】

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