
*Tomi NAVEL at 柳ケ瀬Ants (2023.12.24) photo by Yuma Kikui https://x.com/ymaphoto1109
NAVELのことを初めて知ったのは1995年ごろでお互いまだ音源はデモテープしか出していないころだった。
一緒にライブをする機会が巡ってくることを期待していたけど機会に恵まれず一緒にライブができてTomiさんに会うことが出来たのは2016年。NAVELのことを知ってから実に21年越しのことだった。世界で始まった90年代の新しい形のパンクを国内でいち早く取り入れ始めたあの頃のバンドの中でも、NAVELは国内でエモーショナルで哀愁のあるイギリス特有のメロディックパンクを始めた第一人者的バンドだ。そして30年以上変わることなく足を止めずに地に足の着いた活動を続けている。Tomiさんは常に真剣でストイック、そしてなによりバンド、音楽を心底愛している。支持されるバンドは曲の良さだけでなくバンドとしての活動、人間性など全てにおいてカッコいい。その姿勢は曲やライブにしっかりと宿っているからこそ音源を聴く人、ライブを体感する人の胸を打つ。NAVELが世代を超え、ジャンル、国内外、地域などの壁を超え幅広い層から支持されている所以だ。もっと早く知り合っていたら、、、とも思うけど今回Tomiさんが最後に載せてくれた写真を見てこのタイミングで知り合えたことに意味があったんだと思わせてくれた。ライブバンドとしてアンダーグラウンドでの地道な活動こそが本当にカッコいいことを身をもって示し続けてくれるNAVELのTomiさんに当時のことなどいろいろと話してもらった。
( TEXT : Shogo Yamaguchi (ROADSIDE RECORDS . STUPID PLOTS ) 2025 )
Q : Shogo Yamaguchi ( ROADSIDE RECORDS / STUPID PLOTS )
A : Tomi (NAVEL/Belly Button Records /おへそや)
*画像キャプション : Tomi
(Interview date: May 2025)
Q1. 自己紹介と今やっている音楽活動(バンド・レーベルなど)について教えて下さい。
A. NAVELというバンドでギターを弾きながら歌っているTomiと申します。1972年10月10日、滋賀県鈴鹿山脈麓の自然豊かな隠れ里、甲賀忍者の里生まれ。猫とビール、Punk/Metalなど地下音楽とその文化が好きです。
Belly Button Recordsというレーベルもやっていますが、NAVELの音源やZineを時折自主制作しているだけなので音楽活動という程のものではありません。
他、「おへそや」という名称でNAVELメンバーが好きなバンドのレコード・CDやZineをNAVELライブ会場でdistroしています。ライブ会場出店のみのため今となってはレアな音源が残っていることも多々ありますので、ライブに来たら覗いてみてください。
NAVELドラマー巧さんも「おへそやコミケ支店」の名称で二次創作物やZineを夏冬コミケにて頒布しています。巧さんはプロのライターなので作成されるZineの文章がとても面白いです。是非コミケに遊びに来て手に取ってみてね。

*コミケカタログ サークルカット hello from the gutterからリリースのFlexiジャケデザイン。
artwork by ZUKK https://x.com/ZUKK_Ozaki

*コミケ限定NAVEL Tシャツデザイン
artwork by COSA ONE https://x.com/FRATERNITY_D_W

*コミケ限定カセットテープ “NAVEL The Puke Sessions 2015” コミケC89で頒布しました。

*おへそやコミケ支店(コミケC90/2016) 2回目のイギリスツアー後だったのでツア ーレポートと強制送還記念Tシャツ”Back To Centrair/Go To Comiket”を頒布しました(質問⑥参照)。

*おへそやコミケ支店(コミケC97/2019) アメリカツアーレポートと私のPersonal Zine”Memories Of Tomorrow”を頒布しました。
Q2. 長かったコロナの状況もようやく落ち着いてきましたがコロナ禍の間は音楽活動やプライベートどのように過ごしてきましたか?落ち着きが見えてきてからの活動はどんな感じですか?
A. NAVELでは基本的に毎週スタジオに集うようにしていましたが、メンバーの自宅や職場で濃厚接触者がいると大事をとって練習を休みにしていました。決まっていたライブが幾つもキャンセルになったことは辛かったです。
勤め先では出張や呑み会がなくなり会議もWebに移行されたので、人に会うことが随分と少なくなりました。なるべく一人で仕事をしたい私にとっては良いこと尽くしでした。
プライベートでも、部屋に籠もってビール呑みつつ本を読んでレコード聴いて・・・というコロナ禍前と何ら変わりない生活を送っておりました。
寂しがり屋のくせに「人と関わって嫌な思いをしたりさせたりするくらいなら一人でいる方がマシだ」と思ってしまうので、私のような人間にとっては案外過ごしやすい時期なのかも?と感じていました。
とはいえ、自分の意思を超えて様々な行動が制限されてしまうのはやはり苦痛でしたね。ビール片手に好きなバンドのライブを観ることが何より楽しみなもので。気軽にライブへ行けない状況は精神が殺られました。OBITUARY(心斎橋FANJ Twice)とRAJAS & EVE (京都MUSE)は何としても観たかったので足を運びました。
少し状況が落ち着いてからはライブを再開しましたが、ライブ後居酒屋で吞んでいたらNAVELメンバー3人ともコロナに罹ってしまい・・・という笑えない出来事もありました。パンデミックはもうこりごりですね。
Q3. 結成から現在まで30年のNAVELについて教えて下さい。(結成、音楽性、活動、ポリシー、思い出、エピソードなど)
A. 30年間積み重なった思い出や凸凹エピソードは沢山あり過ぎて流石に書き切れませんが、NAVELの音楽性や活動スタイルは1994年の結成以来殆ど変わっていないように思います。
私が18歳の時、大学の先輩である巧さん・辻さん(NAVEL弐代目ベーシスト 現POPELNИСЭ, ex.GIBBED)と一緒にVOIDDというDeath Metalバンドに在籍していたのですが、私と辻さんがMelodicなPunk/Hardcoreも聴く人間だったので、Metal好きだった巧さんを引き込んでSLAYERやTERRORIZERと一緒にSNUFFやLEATHERFACEを別バンドでコピーして遊んでいました。

*VOIDD Demo Tape (1991) F.O.A.D. Recordsよりこのデモテープを含む初期音源集がリリースされています。 https://www.youtube.com/watch?v=wDNqCqm2qPU

*VOIDD在籍時のflyer (1991) with HELLCHILD, MULTIPLEX, SATANIC HELL SLAUGHTER, SIGH, NECROPHILE, UNHUMAN SOCIETY DEATH
VOIDDを辞めた後、1992~93年頃に私がやっていたPunk/Hardcoreバンド(初期NAVELの原曲はこの時からありました)が自然消滅してしまったので、いつも一緒に遊んでいた大学の先輩である巧さん&奥山さん(初代NAVELベーシスト)を誘ってスタジオに入ったのがNAVEL結成のきっかけです。恐ろしいことに担当楽器はジャンケンで決まってしまいました。凄くドキドキしました。
NAVELがスタートした際、ポリシーといったような大層なものはありませんでした。好きなバンド・好きな曲をコピーして遊んでいる延長で「オリジナル曲もやってみよか」くらいのノリで。当時メンバー共通のお気に入りアルバムがSNUFF ”Reach”だったので、活動初期は三人共SNUFFから相当影響を受けていましたね。
巧さんのドラムが70’s Hard Rockや80’s Thrash Metalのドッカンドッカンしたノリだったので、SNUFFの他MEGA CITY FOUR/LEATHERFACE/DRIVE、SAMIAM/MOVING TARGETS/JAWBREAKER/DOUGHBOYS等に影響されていた私が作った曲を巧さんのドラムに合わせたら面白いバンドになるかも?と感じていました。
その頃私はBEYONDS/NUKEY PIKES/GOD’S GUTS、関西だとDEW UNDER/BLOW ONE’S COOLを頻繁に観に行っていたのですが、そういった新しいPunk感を持った国産バンドの音楽性とライブに刺激を受けている真っ只中だったので、この人達のいるシーンでバンドをやってみたい!と自然と思うようになっていました。
NAVELの活動で個人的にこう在りたいなと思っていたのは「できることはなるべく自分達でやる」「でも無理しないように、理解ある友人とは助け合いながらマイペースで」くらいでしょうか。今もそれは継続していますね。
NAVEL企画でイギリスからSKIMMERとTRAVIS CUTを招聘してJapan Tourをしたのも、それまでSnuffy Smile企画の海外バンドツアーで色んなバンドと対バンさせて貰うことが多かったため、Snuffy Smileに頼りっぱなしではなく自分達でも海外バンドの来日ツアー企画をやってみたくなった・・・ということが理由の一つとしてあります。結局そのツアーもサポートしてくれた方達にお世話になりまくりでしたが(ありがとう)。
私はできるだけ地下活動を好んでいましたので、バンド活動に関しては他メンバーが私の我儘をずっと聞いてくれていたのだと思います。好きなようにさせてくれた先輩方には感謝しています。
NAVELはアルバム三枚の他TRAVIS CUT/SKIMMER/ALLOUT/THE T.V.DINNERS/ANNALISE/LINE/FIFTH HOUUR HERO/CARCASS GRINDER/CHESTNUT ROAD等多数のsplit 7”/Tape、Compilation CD/LPに参加しています。見かけたら聴いてみて下さい。

*NAVEL presents SMILE CUT #1 (1996) flyer 企画一回目にして沁みるメンツですね。
Q4. snuffy smileから多くの作品がリリースされていますがリリースのきっかけや各リリース、ライブ(ツアー)などsnuffy smileとのことについて教えて下さい。
A. 私はSnuffy Smileがスタートする前に栄森さんが発行していたShakin’Streetというフリーペーパーの愛読者で、紹介されたバンド(雑誌には載らないバンドばかり)の音源は片っ端から手に入れて影響を受けまくっていました。そのため「もし自分のバンドでデモテープを作ることがあったらここへ送りたいなぁ」とぼんやり考えていました。
残念ながらShakin’Streetは廃刊になってしまったのですが、すぐにSnuffy Smileが始動しました。続々とリリースされる作品はどれも素晴らしく、企画ライブも夜行バスで東京へ観に行っておりましたので、NAVELでデモテープを作った時(1995春)に速攻で送り付けました。何故かメンバー写真を同封していたので栄森さんからは今でも笑い話のネタにされていますが(もしかしてビジュアルで勝負するつもりだったのか?)、そのテープについて好意的なレビューが載ったSnuffy Smileのフリーペーパーと共に「ウチからレコード出しませんか」と栄森さんからお手紙をいただいたのがリリースのきっかけです。
そのフリーペーパーに載ったレビューのおかげで、全国各地からお手紙やデモテープ、ライブやリリースのお誘いが続々と届きました。今では考えられませんが、当時はバンド連絡先がメンバーの住所でしたので。1980年代半ばからThrash/Death Metal界隈で世界的にテープトレードが盛り上がったことがあったのですが、同じことが日本でまた起こってるんだなと嬉しかった記憶があります。毎週何かしら届いていたのでポストを覗くのが楽しみでしたね。
Snuffy Smileから最初のリリースはNot Superstitious (vol.4) というcompilation 7”でした。同シリーズvol.1に私の大好きなLOVEMENが収録されていたことと、敬愛するSnuffy Smileからの初リリースということもあって想い出深い1枚です。初めてのレコードでしたので、家に届いた時は「NAVELの曲がレコードになってる!」と感動しつつも他収録バンドのカッコよさにブチのめされました。一緒に収録されたSNATCHER/Skate-Bored/JUST ONE DAYのメンバー達とはその後も緩く付き合いがあります。
その後も大好きなバンド達との各split 7”、Ultimate Slow Beats/Bullshit Detector/I Hope The End Is Always The Beginningといった名作Compilation作品群への参加、1stアルバム”uneasy”(1998) と2ndアルバム”depend”(2004) に90年代NAVEL音源集CDなどSnuffy Smileには熱量半端ない作品を幾つもリリースしていただきました。こうして今もバンドを続けられるきっかけを作ってくれたSnuffy Smileにはとても感謝しています。
当時はSnuffy Smile招聘の海外バンド来日ツアーにLOVEMENが同行するパターンが多く、NAVELとCIGARETTEMANで主な活動エリアだった名古屋でのライブにてツアーをサポート・企画していましたが、SKIMMER/CHOPPER/BLOCKO/FIFTH HOUR HEROツアーなどNAVELでもSnuffy Smileのツアーに同行することが時折ありました。ハイエースに人と機材・物販をパンパンに詰め込み深夜の長距離下道移動、宿泊する際も適当な場所に雑魚寝したりと平日休日問わず連日ライブで。色々鍛えて貰ったおかげで海外ツアーなど過酷なライブにも耐えられたのだと感じています。
ツアーに出ると四六時中メンバーと一緒なので車内で話すことも次第に無くなり、結果バンド内がギクシャクして解散してしまった・・・という悲話を頻繁に耳にしますが、NAVELは車内でアニメDVDを観続けて推しキャラについてひたすら熱く語り合っておりましたので、幸いそういったことには無縁でした。バンド的には良かったのかも知れませんが、二次元トークバトルに長時間付き合わされた栄森さんやツアーバンド達はどう感じていたのでしょうね・・・(ごめんなさい)。
また、私の自宅が大阪・京都と名古屋の丁度真ん中くらいにありましたので、毎回のようにツアーバンドが道中泊まっていきました。日本中幾つかあったそのようなスペースを仲間内でPunk Houseと呼んでいましたが(我が家は”Ninja House”)、DIYツアーを継続させるため如何にバンドが快適に泊まってもらえるかを模索していましたね。

*Snuffy Smile presents SKIMMER/CHOPPER Japan Tour (1998) flyer

**Not Superstitious 4 - Compilation 7” on Snuffy Smile (1996)

*1stアルバム”uneasy” on Snuffy Smile (1998) ※画像は再発ver.です

*NAVEL : THE T.V.DINNERS split 7” on Snuffy Smile (2000) CIGARETTEMAN活動停止後、よく一緒にライブをしたのはALLOUT/THE T.V.DINNERSでした。

*2ndアルバム”depend” on Snuffy Smile (2004)
Q5. 海外ツアー(アメリカ、イギリス)についてそれぞれの経緯やエピソード思い出など教えて下さい。また海外でのライブを通して国内のライブ、バンド、シーンとの違いなど感じたことなど教えて下さい(国内での海外バンドとのライブで感じることもあれば教えて下さい)
A. NAVELの海外ツアーは今までイギリスへ二回(1998/2015)とアメリカへ一回(2019)の計三回行いました。
【UK Tour 1998】
最初のイギリスツアーは1998年NAVELの1stアルバム”Uneasy”リリースツアーの一環として盟友SKIMMERが招聘してくれました。出発日朝に名古屋空港のカウンターで飛行機チケットを間違えて予約していることが判明し皆呆然。大急ぎで空港から到着が遅れる旨SKIMMERへFaxで伝え、名古屋空港前の安ホテルでツアー初日を迎えることに。「今頃ロンドンの筈なのに俺達は何故まだ名古屋にいるのか」と全員死んだ魚の眼をしていました。
翌朝のフライトで何とかライブ出番ギリギリに到着したリーズでは、Crackle! Records周辺の盛り上がりもあって若いお客さんが沢山来て楽しんでくれました。翌日ロンドンは少々治安の悪い通りでのライブ。トイレでキマっている方達が何人もいて怖かったですが、たまたま私の誕生日で酔っぱらい達がHappy Birthdayを歌ってくれて嬉しかったです。
その後ブライトンやバーミンガムを廻りました。ツアーで共演する筈だったCHOPPERとBROCCOLIが解散直後だったのは残念でしたが、SERVO/ONE CAR PILE UP(ex.GAN)/TRAVIS CUT/the’tone/THE SECT/FUNBUG(ex.IDENTITY)らが共演してくれました。私は英国のMelodic Punkが好きでしたので毎夜感動しっぱなしでした。

*NAVEL England Tour (1998.10) flyer

*Fenton, Leeds (1998.10.9) flyer

*The Red Eye, London (1998.10.10) flyer
【UK Tour 2015】
二回目のイギリスツアーは2015年3rdアルバム”Heartache”リリースツアー。6月にSKIMMERと日本を廻り、7月にその勢いのままK-ON!劇場版の聖地巡礼も兼ねて皆ノリノリでイギリスへ向かいましたが、ロンドン・ヒースロー空港で私とトハタ君(現NAVELベーシスト)が入国拒否の憂き目に合い強制送還されてしまいました。犯罪者扱いのまま空港内にある独房のような窓の無い部屋にブチこまれ取り調べを受け続けた一夜は人生最大のショックだったかも知れません。徹夜で四方八方手を打ちましたが力及ばず、パスポートも取り上げられ屈強なセキュリティ二人付き添いのもと翌朝愛知セントレア空港へ帰されてしまいました。
その後SKIMMERをはじめ関係者皆様の超人的尽力のおかげで奇跡の再入国を果たし、予定されていたツアーの後半は無事ライブができました。ただ、ツアー中や帰国後も私は「友達と演奏したいだけなのに何故こんな酷い目に合うのかな」とずっとモヤモヤしていました。国境・国家や権力といったもの、またそれらに抵抗することについて改めて考える機会となり、コミケで頒布したZineにもコラムを書きました。
このツアーではCHOPPERメンバー達やDave&Becky (Crackle! Recs)、Dan (DRIVE)・Simon (SNUFF/YOUR MOM/SOUTHPORT)らと再会、SOUTHPAWやAndy (HEADSPARKS ex.GAN/SERVO/DON FISHER/OHNO EXPRESS)にもお世話になりました。

*入国拒否されて心に深く傷を負ってしまった私とトハタ君。強制送還後即再入国チャレンジという人生最大の大博打に打って出るため襟付の服を購入。ボタンも上まで全部止めま す。

*奇跡の再入国を果たし歓喜の再会、乾杯する三人。いい笑顔ですね。

*Taku&Tomi with Chris (PROTECTORS/CHOPPER/PYLON) at Players bar, Wakefield (2015.7.23)

*NAVEL 2nd UK Tour 2015 flyer

*Players bar, Wakefield (2015.7.23) flyer

*Actress & Bishop, Birmingham (2015.7.25) flyer
【US Tour 2019】 アメリカツアーはコロナ禍直前の2019年夏、Bloated Kat Records のServoが招聘してくれました。前回イギリスツアーの反省を活かしライブ告知を一切行わず無事入国。トハタ君はシカゴ・オヘア空港の入国審査で「何しにアメリカへ来た?」と問われ「シカゴピザを食べに来ました」と伝えて税関クリアしたとか。
NAVELは、split 7” with LINE (Arms Reach Recs), PEACE AND LOVE Compilation CD (Broken Rekids), Dosei Jidai Compilation 7”くらいしか同国リリースがなく、入国するまでツアーの告知宣伝も一切していなかったので「お客さん来てくれるのかな」と若干不安でしたが、既に世の中Web時代ということもありNAVELを聴いてくれていた激ディープなbasement punksが何人も来てくれました。手作りNAVEL Tシャツ着用の方もいて感動しました。
シカゴを中心にミネアポリスやミルウォーキー等アメリカ中部を廻ったのですが、私はPEGBOY/SLUDGEWORTH/THE BOMB/ARRIVALSらシカゴ産Melodic Punkのファンだったので嬉しかったです。遥々フィラデルフィアから来て一緒にツアーを廻ってくれたTEENAGE BIGFOOTも凄くカッコ良くて。ライブは熱いのに普段はニコニコと穏やかな良い人達でツアー中とても和ませて貰いました。いつか日本へ呼びたいバンドです。
TEENAGE BIGFOOT https://teenagebigfoot.bandcamp.com/
Bloated Kat Records https://bloatedkatrecords.bandcamp.com/

*NAVEL with TEENAGE BIGFOOT and Servo Bloated Kat Recs (2019.9) 私はカメラマンつまり黒江真由なので写っていません

*NAVEL first US show BLOATED SATURDAY IV at Gabes, Iowa (2019.8.31) flyer

*NAVEL at PDM, Columbia Missouri (2019.9.3) flyer USツアーでのベストショウ。
このツアーも色々な想い出がありますが、印象深かったのはミネアポリスでのライブでNAVEL演奏中にバーの天井一部が爆音と振動で崩壊したことです。やべぇ!弁償させられるかも・・・と冷や汗かいていたら「いいぞもっとやれ!」と店員さん達が笑っていて面白かったですね。落ちてきた天井は「記念に持って帰れ」と渡されました。
今回は大したトラブルも無くツアーを終えられたねぇ、と安堵しつつ日本へ着くと台風直撃で成田空港が陸の孤島になっていました。飛行機が飛ばず帰れなくなった数万人の人々と空港内の限られた食べ物を分け合って一夜を明かしましたが、入国拒否&強制送還に比べたらかわいらしいもので今では良い思い出です。

*コロンビア・ミズーリのライブ会場PDMにて。倉庫を改造して自主運営されているグラフティだらけの素敵なDIYスペース。「記念に何か描いてくれ」と依頼され外壁に落書き。
https://themaneater.com/63057/move/diy-venue-pdm-fosters-underground-music-community/


*NAVEL with CHINESE TELEPHONES in 2019 十数年ぶりの共演はシカゴにて。

*ライブ会場限定のUSツアー記念テープジャケ。歌詞・写真付ブックレットにはSnuffy Smile/Brassneck Recs/Bloated Kat Recs日英米レーベルオーナーによる面白NAVELコラムが載っています。
https://bloatedkatrecords.bandcamp.com/album/uneasy-heartache-songs-1994-2019

*Burlington, Chicago (2019.9.6) blackboard

*崩壊した天井の一部を持ち帰るNAVELマニアDan君 (SPHC Records) illyaのTシャツ着てたので一緒に盛り上がり、家に泊めてくれました。SPHC Records https://sphcrecords.bandcamp.com/

*成田空港で帰れなくなった数万人とヤケクソ気味にフテ寝。昔からNAVELがライブやると雨が降ります。台風も来ます。
ライブに関して感じた日本と海外との違いは、場所にもよりますがリハ無し&生音勝負な場所で演奏する場合が結構あるということでしょうか。PAやモニター完備が当たり前の日本のライブハウスとは少々勝手が違うかも知れません。皆で機材を持ち込んで、民家の地下スペースやバーの片隅、レコード屋さんの店内でライブをやったりと。ただ、NAVELは自主企画を似たような状況で行うことも多いので願ったり叶ったりでした。
イギリス・アメリカ共にNAVELが廻った場所に関してはシーンの違いという程のものは感じませんでしたが、ライブ前後に食事を用意してくれたり「泊まる場所あるのか、ウチ泊まってけ」と申し出てくれる人達が常にいたりと、バンドお客さんの垣根なくPunkシーンやツアーをサポートする姿勢はどの場所でも感じられて嬉しかったですね。
また、日本では「好きなバンドを観るためライブへ行く」という場合が殆どかと思いますが、イギリスやアメリカではバーへ呑みに来た方がふらっとライブを観てくれるパターンも多く、気に入ったら最前列で踊ってくれたりライブ後に感想をストレートに話しかけてくれるので、音楽やバーの文化が日常に根付いていて何だか良いなぁと思いました。
Q6. 90年代当時のシーンのことなどどんな風に感じていましたか?
A. このインタビューシリーズのNAOKIDZ&下地さんのお答えに近い印象ですが、NAVELは主に名古屋で活動してきましたので少し違う部分もあったかも知れません。
結成当初はMelodic/Pop Punkバンドが周りに殆どいなくてNOT REBOUNDやCIGARETTEMANとよく一緒にライブをやっていました。当時は私以外のメンバーの仕事が忙しい時期で、誘って貰った遠方でのライブは殆ど出演をお断りしていたので悔しい思いと申し訳なさばかりが残っています。稀にしか東京でライブをしなかったので、メタルスライムと呼ばれていたと後年聞かされました。
バンドやレーベルも増え、シーン(と呼べるのか微妙でしたが)が大きくなるにつれてメジャーVSインディーやセルアウトのような論争はZine等で活発に行われていました。身近なバンドもメジャー流通ルートからリリースしたり、それを支える「メジャー資本のインディー風レーベル」もあったりで、私はDOLL/EAT/Indies MagazineのようなメインストリームなPunk/HCを扱う音楽誌に背を向けて自主製作Zineやフリーペーパーばかり読むようになりました。読みたいコラムやバンドの記事がそういったZineにしか無かった、ということもありますが。
そのためVS音楽業界という話以前にその辺りのバンドやシーンは全く視界に入らない状態となり最早別世界という感覚になっていました。音源やライブ企画、フライヤーに至るまで手作り感溢れるものが好きでしたので、所謂業界的なリリースやライブとは距離を置くようになり自ら地下へ地下へと潜っていたのだと思います。
バンドとしては殊更アンチメジャーだのと発信したこともないのですが、メジャー資本レーベルからリリースしているバンドと共演予定となった時は、ライブ企画者さんから「〇〇も出演しますが構いませんか」と申し訳なさそうに聞かれたこともありました。熱い時代でしたね。
今思い返してみると、日々アップデートされていく各々のPunk感をぶつけ合って、混沌とした新しいシーンを皆で自然に創り上げていたのかも知れません。あの感覚を私にはうまく表現できないのですが、各々考えに違いはあれど「何か面白いことが同時多発的に世界中で始まっているのでは」「今それに俺達も加わってる!」といったワクワクした感覚は皆根っこで共有していたように感じます。あの頃の数ヶ月というのは凄く濃厚でしたので、毎日が刺激的で素晴らしい時間だったと思います。
Q7. 90年代から現在まで止まらず活動をしていますがバンドやシーンやライブハウスの状況の変化をどのように感じていますか?
A. 先の回答と重複しますが、NAVEL活動当初はMelodic/Pop Punkバンドが周りに殆どいなかったので、お手本も無く手探り状態でしたが割と自由に活動できたのではと思います。先輩後輩といった私の苦手な体育会系ノリも幸い周りには見当たりませんでしたので。
1990年代後半になると、全国的にバンドが急増したせいか色々な場所から呼んで貰ってライブができるようになりました。ただ、週末名古屋でライブ企画しようにもライブハウスは早々に予定が埋まってしまうので簡単には予約できなくなってしまいました。平日我慢を重ねて週末ライブで発散というような流れに抵抗したかったこともあって、その頃からNAVELでは平日にライブ企画をやるようになりました。特別なことではなく、普段の生活・日常にもっと音楽やライブがあったらいいなぁと思い現在も同様の企画を行っています。
late 80s~early 90s Melodic Punk/HCとでも言うのか、メロコア(と呼ばれがち)ムーブメント以前のMelodic Punk/HCと呼ばれたようなスタイルは近年世界的にも絶滅危惧種のようで、ここ数年NAVELはHardcore/Grind Core/Power Violenceや地下メタルの方達からライブ企画に呼んで貰うことが多い印象です。そんなエクストリームなバンド達や、自分の息子でもおかしくない年齢の若い子達から今もライブに誘って貰えることは至極光栄で、とても嬉しく思っています。
Q8. NAVELがスタートした当時の90年代、そして現在まで地方での活動で感じること意識していることはありますか?
A. 地方での活動として感じること・意識していることは特にありません。東京に比べると、ライブに来てくれる人の数や地元のバンド数が違い過ぎるので、自主企画を行う際に困ることくらいでしょうか。細分化され過ぎたジャンルに偏らず、昔から色んなバンドと共演できるのは名古屋の良いところなのかも知れません。
現在では海外バンドの来日ツアーが東京公演のみといったパターンも多く、こんなご時世なので招聘する側の事情を考えると致し方ない部分も理解できるのですが、時折全国各地を廻るDIYツアーのflyerを見かけるとやはりテンション上がりますし、できる限りサポートしたくなりますね。
都市部以外の場所からライブに呼んで貰って出向きますと、そのライブ会場は「地元の音楽好きな(少し変わり者の)愛されおじさん」が開いたバーやスタジオというパターンに高確率で遭遇するので楽しいですよ。他にも、誰にも知られていないようなメチャカッコいいバンドがしれっと存在していたりするのでいつも地方は面白いです。
Q9. ロックなど音楽への聴き始めはいつぐらいでどんな音楽、どういうきっかけでしたか?それから小中高校とどのように聴く音楽が広がって行きましたか?(地方ということで情報、レコード屋さんも少なかったのではないかと思います。どんな感じだったでしょうか?)
A. 小学校低学年の頃はYMOが好きでヒカシューやプラスチックスもよく聴いていました。ピコピコした音が面白くて、おもちゃのキーボードで初めてメロディーを作ったことを覚えています。その後、小2くらいの時に齢の離れた兄の部屋で見たIRON MAIDEN 1st LPのジャケに衝撃を受けたのが全ての始まりでした。幼い頃から妖怪や怪獣が好きだったので、そういった視点からあの異形のジャケに興味を持ったのでしょうね。
そこからDEEP PURPLE/BLACK SABBATH/RENAISSANCE/THIN LIZZYら70’s Hard Rockに遡りつつ、中学生になると更に速く激しい音楽を求めてSLAYER/METALLICA/DRI、GASTUNK/GAUZE/GISMに辿り着いたのかな。SABBRABELLS/THE DATURA/TERRA ROSAなど国産インディーズメタルにもハマっていたので、それらのバンドがよく掲載されていたロッキンfの愛読者でした。

*IRON MAIDEN 1stアルバム 名曲と名演しか入っていない。

*RENAISSANCE - Ashes are Burning LP 美旋律の洪水に溺れるシンフォニック・プログレ傑作。

*SABBRABELLS - 1st LP 日本インディーズメタルの先駆け。500円バーゲンコーナーで発掘した時は震えました。

*THE DATURA - One Night Dream LP ハスキーな女性Vo.の歌声も素敵な国産インディーズメタル隠れ名盤。

*TERRA ROSA - The Endless Basis LP 初期デモテープも素晴らしい国産様式美HRマスター。
初めて行ったライブハウスは兄に連れて行ってもらった大阪のバハマ(関西HMの聖地)で、今まで聞いたことがない大音量に衝撃を受けたことを覚えています。狭いライブハウスということもあって、客席から手の届きそうな近い距離でかっこいいバンドが演奏している感動もありました。大きい会場でのコンサートですと、中2の時に地元滋賀へLOUDNESSが来てくれたので観に行きましたが、私にとってバハマでのライブハウス原体験は人生を変えたであろう凄く大きな出来事でした。
田舎住まいでしたので欲しいレコードを扱っているお店は殆どありませんでしたが、近所にレンタルレコード店がオープンしたのでそこへ小遣いを貢いでおりました。ただPunkやMetalは有名どころしか置いてなくて、東京のレコード屋さんでGENOAやTERRA ROSAなどインディーズものを通販していましたね。学校でもMetalやHardcoreを聴く人は数人しかいなかったので、限られた友達とテープをダビングし合う毎日でした。現在と比べると一つの作品を何度も何度も繰り返し聴き込んでいたように思います。
私が高校を卒業する頃だったか、兄が大阪のBELETH (Japanese Death Metal創世期のバンド)でギターを弾いていたので、そちら経由で入手した世界各地のDeath Metal/Grind Coreデモテープを聴き漁っていました。Metalに関しては兄の影響がかなり大きいですね。
Q10. バンドを始めた頃、夢や目標はありましたか?現在の夢や目標はありますか?(バンド、レーベル音楽活動、またプライベートでも)
A. 初めてバンドを組んだのは中2の時で、RAJASの曲をやりました。校則で男子は全員丸刈りの保守的な学校でしたので、そんな田舎の小坊主がバンドをやるには色々と障害がありました。ガレージに機材を持ち込んで練習やって叱られたり、ライブやる場所もないので公民館借りて自主企画をやったりフォークゲリラ風に文化祭ジャックしたり。
今まで意識したことはなかったのですが、思い返してみるとその時の「初めて音を合わせた感動」の余韻で今もバンドを続けているのかも知れません。
夢や目標は当時から考えたことも無く、当たり前のようにずっとバンドを続けていました。繰り返しになりますが、毎日の生活の中に音楽が常に在る感じが好きで。学校帰りに友達と音を合わせているだけで楽しかったのだと思います。
NAVELでも同様で、NAVELという名前でバンドをスタートする前から同メンバーと毎週スタジオに入って好きな曲をコピーして遊んでいたので、それがずっと続いている感じですね。
ただ、最近はスタジオで新曲が完成した時にある程度バンド活動に満足してしまっているところがあって少々反省しています。「新曲できた!・・・ほんじゃ次の曲いこっか」みたいな感じなので。音源リリースやライブも勿論嬉しいのですが、自分にとってそれらはご褒美ボーナスのイメージです。
そんなマイペースな活動を続けていたら、同時期にバンドをスタートし音楽性や活動スタイルも近くシンパシーを感じていたイギリスのバンド達SKIMMER/CHOPPER/BROCCOLI/HOOTON3CAR/SERVO/ANNALISE、少し上の世代でNAVEL結成前から背中を追っていたDuncan(SNUFF/G’n’W)やSimon(SNUFF/SOUTHPORT)、LEATHERFACE/HARD-ONS/SAMIAM/MOVING TARGETS/BEYONDSと一緒にライブができるようになって。
そして何より、NAVELの曲を聴いて感想を伝えてくれる人がいたり毎回ライブへ来てくれる方が現れたり・・・それらは「夢が叶った」というニュアンスとは少し違いますが、バンドをやっていてとても嬉しかったことです。
夢や目標という程の大した考えは今もありませんが、自分が心から良いと思える曲を妥協無く作り上げて、メンバーと音を合わせてライブがしたいです。それでライブに来てくれた方が楽しんでくれたら最高ですね。世の中フェイクばかりで辟易しますが、音楽やライブは嘘がつけないので。それはとても好きなところだなと思っています。
プライベートの夢や目標は・・・好きな曲(凄く沢山あるのです)をギターで弾けるようになりたいことと、美味しいビール呑みながらカッコいいライブが観れたらいいな、と。これじゃあんまりバンドと変わらないか。愛猫が亡くなってからずっと心が歪んだままのように感じるので、またいつか猫と暮らしたいです。
Q11. 人生においての重要な5曲(またはバンド、音源単位でも)を教えて下さい。その曲についての思い出やエピソードも教えて下さい。
A. 人生!括りが重くて難問過ぎますので、長年よく聴いていて常に私の側にあった音源を幾つか挙げさせてもらいます。
★FREE - Live! LP
Blues Rockと70’s HRの架け橋。無音部分を聴かせる独特な曲とPaul Kossoffの咽び泣くようなビブラートが好きです。
★SLAYER - Reign In Blood/South Of Heaven/Seasons In The Abyss LP
心のバンド。辛いことがあるといつの間にか爆音で聴いていますね。
★GASTUNK - Dead Song/Under The Sun LP
日本の元祖Metal Punk。激しい音に切ない旋律、アルバムUnder The Sunは私の好きな曲のベースとなったような気がします。
★HEAVENLY – all 7”s / Heavenly Vs Satan LP
英国のAnorak/Guitar Pop。前身Talulah Goshから継続された等身大の活動も素敵でSarah Recordsからリリースされた初期の7”連発には影響されました。後にJ CHURCHがカヴァーしたので「流石Lanceだ」と嬉しかったですね。
★THE PHOENIX FOUNDATION – Falling/Closer LP
アナーコPunkバンド1981のメンバーがやっているFinland産Melodic Punk、現行バンドでは一番聴いているバンドかも知れません。歌詞と楽曲の美しい調和。Closer でのベーシストとドラマーの演奏も素晴らしくて、悲しい時はよくこのアルバムをかけて布団に潜ります。





Q12. これまでに観たライブで特に印象深いライブを3つ挙げて下さい。思い出やエピソードも教えて下さい。
★SLAYER at 大阪フェスティバルホール (1990/12)
受験シーズン真っ只中「模試へ行く」と親に嘘付いて向かったSLAYER初来日ツアー千秋楽、お客さんの熱狂度も凄まじかった90分のThrash暴風雨。私は高校生だったのでまだ出会う前ですが、会場に大学生の巧さんもいたらしいです。当時私の関心は既にDeath Metalにありましたが、SLAYERはUndergroundな雰囲気を纏ったまま「コレしか無いぜ」とThrashを貫いていて感動しました。音楽的な変化を然程しなくとも、自分達の作る曲が好きなら純度をどんどん高めていけるんだなーととても影響を受けました。
★LEATHERFACE at 難波ロケッツ (1992/8)
Mush/Compact and Bijouリリース時の初来日ライブ、前述Shakin’Street渾身の企画。辻さんのバイク後部席に載せてもらって当時住んでいた名古屋から観に行きました。高円寺にて購入したブートVHSを観まくっていたLEATHERFACEが遂に生で!と大興奮の一夜。ギターDickie (HDQ/THE JONES/STOKOE) の弾き方が可愛くて面白くてカッコよかった。私のギターの音と弾き方はDickieとSimon師匠(SNUFF/SOUTHPORT)に影響されています。全然真似出来ておりませんが。
★BEYONDS at心斎橋クアトロ (1993/5)
解散ライブ。BEYONDSとNUKEY PIKESの自由な楽曲には勇気付けられていました。これが最後なのかと思うと数々の名曲に感傷的になり涙腺が緩みましたね。でも、この夜「自分もこんなバンドがやりたい!」と強く思えたのでNAVELへと繋がった気がします。
他にも、このインタビューで既にお名前が出たバンドを除くとSYXE/OVERKILL/OBITUARY/GO/FLASH GORDON/NICE VIEW/THREE MINUTE MOVIE/BLOTTO/THE BECAUSE/I EXCUSE/BILLIE DROP/TURNCOAT/THE INVISIBLE TEARDROPS/COMPLETED EXPOSITION/SCENE SICK、最近観たライブだとNEVER BEFORE/FACE CLASHER/COFFINS/BLACK GANION/ACADEMY FIGHT SONG・・・う~ん、今まで沢山の素晴らしいライブを観せてもらったのでこちらも書き切れませんね。

**LEATHERFACE Japan Tour 1992 Flyer

*Grind Freaks at 柳ケ瀬Ants (2023.12.24) Never Before観たせいで2024年はDoom熱再燃。
Q13. これまでやってきた自身のライブで印象深いライブをいくつか教えて下さい。思い出やエピソードも教えて下さい。
A. NAVELのUK Tour (1998/2015) やUS Tour (2019) が印象深いですが、先の質問で少し述べましたのでそれ以外のライブを。毎回NAVELライブは体感上あっという間に終わってしまうので不思議です。
★中学校の文化祭 (1986/1987)
合唱と吹奏楽のみの文化祭停滞状況に風穴を開けるべく、バンドのライブをやりたいと企画立案。前述した保守的な学校のため猛反対に合い中2の時は失敗、何故か音楽室で演奏させられ昼休みの全校放送で流される辱め。そのため中3の時はメンバーに若手教師三人を巻き込む作戦に出ましたが、校長・教頭らによる事前ライブ審査(!)が設けられMetalはダメ出し。「愛が全てさ~」と何故かHOUND DOGをやることになりましたが、文化祭ステージで人生初ライブを何とか成功させました。翌春、その若手教師達は他校に異動となったとお聞きしましたが。
★NAVEL at東京・下北沢屋根裏 (1995.10) w/MIDDISHADE, REVOICE, SHERBET, JUST ONE DAY, LOVEMEN
MIDDISHADEからデモテープ同封ラブレターで呼んで貰ったNAVEL東京初ライブ。とても嬉しかったです。お手製LOVEMEN Tシャツにダボダボのオーバーオール(NUKEY PIKESの影響)をコーディネートし気合十分で臨みましたが完全にお上りさん状態。憧れのLOVEMENブンさん宅に泊めてもらって、リリースされたばかりのJESSE/TWO LINE FILLER/SPLIT LIPを聴かせてもらい深夜感動していました。
★SKIMMER & TRAVIS CUT with NAVEL Japan Tour (2000.8)
この時既にシーンはemo真っ盛り、海外からMelodic Punkを2バンド呼んで廻るなんて無謀だと言われた真夏のツアー。ツアーポスターには記載されていませんが、前後日に東京(目黒Mod Studio&日曜革命)でもやりましたね。I EXCUSE/MINORITY BLUES BANDが2000年代Snuffy Smileの中心バンドとなるきっかけのツアーでもありました。心身共ズタボロになって十日ぶりに帰宅したら付き合っていた人にフラれました。
★NAVEL at島根・松江NU (2017.7) w/高橋周作さん
一緒に日本を廻る筈だったSKIMMERが涙の来日中止、しかしNAVELだけで当初スケジュール通り西日本ツアーを敢行することに。この夜、店員さんを入れてもNUにいたのは十人足らず。この人達に想いよ届けと演奏にのめり込んでいたらライブ中どんどん無我の境地ゾーンへ入っていく稀な体験をしました。小説家や漫画家が云うところの「キャラが勝手に動き出す」ってヤツなのかな。私だけかと思いきやメンバー全員そうだった、というNAVELベストショウ。

*NAVEL & friends presents SKIMMER&TRAVIS CUT with NAVEL Japan Tour 2000 flyer 各地友人のサポートで完遂した真夏のツアー。イラストはカルトSF漫画「エイリアン9」オマージュ。
Q14. 最後に読んでくれた皆さんにメッセージをよろしくお願いします。告知もありましたら!
A. NAVELライブ予定です。遊びに来て下さい。
6/11(水) 名古屋・東山Studio 246 NAGOYA
PLUM CRAZYS & Joke or Treat presents 【RETARDED×RATBONES Japan Tour From Italy 2025】
w/RETARDED, RATBONES, PLUM CRAZYS, THE CBGBs
6/20(金)名古屋・今池HUCK FINN
SOCAIL PORKS presents 【SPEED MOSH GIG vol.2】
w/V.V.M.(SF,CA), MÜRMÜR, N.E.K, NERDY ARMY(Cheap Skate), SOCIAL PORKS, VIDEO GIRL, VIVA LA THRASH!
7/12(土) 東京・町田CLASSIX
JOEY’S & CLASSIX presents 【ASSFEST 2025】
w/ABIGAIL, COFFINS, EVIL, EXFARGO, MADREX, RISINGFALL, SHOTGUN PLAYBOYS, TRIKORONA, 泥虎, GUMMY BOYS
7/26(土) 名古屋・栄 RED DRAGON
No Remorse Presents 【DEEP CONNECT】
w/ROSEROSE, LOW CARD DE LA MORTE, AMBER VIAL, BLASTING ROD
8/2(土) 名古屋・東山Studio 246 NAGOYA
Crows Caw Loudly Presents 【SubHighlights vol.16】
w/Crows Caw Loudly, ixtab, PROLETARIART, Zん





STUPID PLOTS/Roadside Records山口さんからこのインタビューが届いたのが2024年春、つまり一年前のことでした。私のどうしようもなく怠惰な性格が災いして長い間お待たせしてしまいました、ごめんなさい。
普段聞かれない限りは過去の話をしないよう気を付けているつもりなのですが、そうしていると記憶を次々無くしていってしまうもので。今回インタビューしてもらって、大切なことを幾つも想い出すことができて嬉しかったです。山口さん、気長に待っていただいて本当にありがとうございました。
もしかしたらこのインタビューを読んでくれた人達の中にもそんな方がいるかも知れませんが、今も昔もNAVELのライブには、世渡りが下手そうな、世の中とは上手くやっていけなさそうな方が一人で(酔っぱらって)来られていることが多いように感じられて。NAVELの曲や歌詞がそういった方に少しでも届いているのかなと思うと嬉しく思います。作った曲や歌詞は正に私自身の姿ですので。
インタビューを読んでくれてありがとう。そして1994年から今まで、曲を聴いてくれた貴方やライブに来てくれた貴方、色々な形でNAVELをサポートしてくれた皆さんに心からの感謝を。のんびりしたバンドですが、そんな皆さんのおかげでこうして今もNAVELが続いています。本当にありがとう。
ジャンケンでパートを決めたようなバンドが、解散もせず毎週スタジオに入って30年以上続いているなんて自分でも信じられませんが、NAVELはずっと相変わらずな感じでやっておりますので、ライブへ遊びに来てくれると嬉しいです。あと、新曲がたまってきたので今年レコーディングします。音源が完成したら聴いてね。
バンド情報は下記リンク先までどうぞ。ライブ会場でお出会いできることを楽しみにしています。ライブで乾杯しましょう!
Tomi NAVEL (2025/5)
【NAVEL info.】 https://x.com/Navel__Info__
【Tomi】 https://x.com/yuni00yuno11
【Email】 navel1994(at)gmail.com

*3rdアルバム”Heartache” on Belly Button Records (2015)

*NAVEL at 埼玉県・幸手市 こな田んぼ (2008?) らき☆すた聖地巡礼で喜びを隠せない三人。
photo by若王子プロダクション https://x.com/wakaouji_1995

*NAVEL at 滋賀県旧豊郷小学校講堂 (2011) K-ON!聖地巡礼で笑顔が隠せない三人。メンバー写真が聖地巡礼しかない。 photo by若王子プロダクション
