昨年 BOODLE の PEPE君から、親しまれつつも止まることを余儀なくされていた「雑フェス」という企画を2023年9月9日に再開することになったという連絡をもらった。愚直なまでにポップでキャッチーなメロディーの高速メロディック・ポップパンクを貫いている BOODLE らしい真っ直ぐで熱い決断にグッと来るものがあった。
彼らが自称している「PONKOTSU POP PUNK BAND 」の ”ポンコツ” は同じような価値観をもつ者には分かる誉め言葉だ。そうあり続けることの難しさを知っているから、自身をそう称していることの覚悟や拘りを感じずにはいられない。「子どもは誰でも芸術家だ。 問題は大人になっても芸術家でいられるかどうかだ」という有名な言葉がある。誰もがややもすると失いがちな「純粋さ」を持ち続けている BOODLE はきっと周りに惑わされず流されず、ずっとがむしゃらな”ポンコツ”のままでいてくれるに違いない。今回はそんな BOODLE のフロントマン PEPE君にいろいろなことを話してもらった。
( TEXT : Shogo Yamaguchi (ROADSIDE RECORDS . STUPID PLOTS ) 2023)
Q : Shogo Yamaguchi ( ROADSIDE RECORDS / STUPID PLOTS )
A : PEPE YAMAMOTO ( BOODLE . BLIK RECORD )
(Interview date: August 2023 )
Q1. 自己紹介と今やっている音楽活動(バンド・レーベル等)について教えて下さい。
A. どうも!! PEPE YAMAMOTOです。
SENDAI PONKOTSU POP PUNKBAND!! BOODLEでギターとボーカルをしてます。
あとはBLIK RECORDなる自主レーベルも2022年から始めました。
今回まさかのBOODLEから2人目のインタビュー*「BOODLEって誰っ?」そう思いますよね(笑)
良かったらバンドと名前だけでも覚えていって下さい。
*(2022年1月にBOODLEのドラムのハシケン氏にインタビューさせて頂いています。)
Q2. 長かったコロナの状況もようやく落ち着いてきましたがコロナ禍の間はバンド(レーベル)活動やプライベート、ど
のように過ごしてきましたか?落ち着きが見えてきてからの活動はどんな感じですか?
A. LIVEの本数はコロナの影響もあるけど、一番はBOODLEがホームにしているライブハウスBIRDLANDの移転があって大分減ってしまいましたね…。
それでも練習は週一でスタジオ入ったりしてたので、ライブができない分、新曲つくったりカバー曲やったりでその辺は割と普段通りのペースで動いていました。
プライベートでは子供たち2人の卒業や就職等の嬉しい出来事もありましたが、2021年10月に20年以上連れ添った妻を病気で亡くして、家族にとっては喜びと悲しみの数年でした。
僕自身妻の死後、人との関わり方や接し方、自身のこれから先の生き方とか、改めて考える時間が増えた気がします。
バンドの方はコロナが少し落ち着いた辺りから自分達でスタジオライブを企画したり、周りのバンドに企画に誘ってもらい少ないながらもライブもでき何とか活動してきました。
あとは今年の三月にBIRDLANDの移転先が決まり再OPENしたので楽しみなのはコレからですね。
Q3. BOODLEのサウンドは90年代のメロディック・ポップパンクを思わせます。意識している点はありますか?
A. BOODLEの曲は僕がつくるんですけど、単純にあの時代の音楽が好きってのが1番の理由です。
音楽だけじゃなくて色んな事を無責任に楽しんでたのが90年代。まぁ不便な事も多かったけど「じゃあ、どうしたら楽しくなる?」あの当時そんな事ばっか考えてました。
BOODLEの前のバンドを組んだ時も自分が楽しかった時代の音楽がやりたいって思ってたんで、それがそのままBOODLEになっても続いている感じです。
Q4. 最近レーベルを始めましたね。始めたきっかけは?またどんなレーベルにしていきたいですか?
A. 僕はバンドで最年長(現在43歳)なんですが、バンド活動をこれから先どれくらい出来るのかわからないし、もっと勢力的に動くならハシケン個人でしているレーベルよりもバンドで動けるレーベルの方が僕らにはあってるのでつくりました。
後は最近少しこなれて来た感じもしてたんで、もう1回初心に戻るって意味もありました。
レーベルではBOODLEのフルアルバムをつくるのが目標ですが、レーベル作品第一弾として同じ仙台のバンド「YAM」とスプリットを出したいと思ってます。
「YAM」はMicroplan . Blaze A Trail . Deeds Not Words . The Intentions . Hitsville . Red Sky Wakebell と仙台を代表するバンドを経験しているメンバーで構成されたバンドで…。文字にしてみるとやばいですね。。
スプリットへの思いをぶつけたら快く快諾してくれました。まぁ、出す事だけ決めていてそれ以外は何もって感じなんで、とりあえず飲み会から始めたいと思いますので楽しみにして下さい。
Q5. 9月にBOODLEが「雑フェス」という企画を引き継ぐ形で主催しますね。「雑フェス」という企画について教えて下さい。
A. 「雑フェス」は仙台で ”プックオフ” の愛称で親しまれていたタムさんが仙台市内で9月に開催されているイベント「JAZZ FESTIVAL」の裏で開催していたイベントです。
開催していた回数は多いわけではなかったけど、仙台…特にバードランドで遊んでる人間にとっては特別なイベントの1つなのは間違いないですね。
タムさんは柔和な雰囲気なのに意外と毒も吐く、人見知りなのに話しかけると気さくに話してくれるそんな人で、BOODLEでだとハシケン(BOODLE / Dr)が特に仲良くて、僕はあとから仲良くなった感じです。
あまりバンドに詳しくない僕にもわかりやすくそのバンドの事教えてくれたり、音源の帯コメントを書いてくれたり、石巻までライブ見に来てくれたり、沢山お世話になりました。
Q6. その雑フェスを引き継ごうと思ったきっかけ、今回の「雑フェス」について。また今後この企画をどういう風にしていきたいかなど雑フェスへの想いを聴かせてください。
A. タムさんは病気を患っていたんですが2019年8月僕達より先に旅立っていきました。そして「雑フェス」も無くなってしまいました。
それから毎年9月「雑フェス」の時期になると、タムさんの事を思い出しては堪らなく寂しくなってしまう…。そんな時期が続いて。。。
「きっと、これ毎年寂しい気持ちになるんだろなぁ…。」そんな事考えたら感情が爆発してしまって。。「こんなカッコイイ企画無くしたままで良いわけねえだろ!もしかしたら誰かが再開してくれるかもしれないけど、そんなの待ってられない」って思ったんですよね。
それで「雑フェス」をBOODLEで再開したいっ」ってメンバーに相談したのが2022年の年明けだったかな?
それから再開に向けて準備してたんですけど、その年はコロナがまた増えてきた時期と重なってしまってやむなく中止になりました。
それが物凄く悔しくて2022年の9月には2023年の再開に向けて動き出してました。
県外のバンドにも2022年のうちに声かけたりして、今思えばそんな先の予定わかる訳ないんですけど。。
それでもみんな快く出演を承諾してくれたのが嬉しかったですね。
これから先どうなっていくのかは僕らもわからないですけど、「雑フェス」を楽しみにしてくれてるみんなや再開に向けて協力してくれる仲間がいる事ががとてもありがたいです。
この「雑フェス」が盆暮れ正月じゃないけど、タムさんの事知ってるみんなが集まってタムさんの話しながら酒呑んだり、タムさんの事知らない人もライブ見て楽しんで、「雑フェス」楽しかったって思ってくれたら嬉しいですね。
後は先の事だけど、BOODLEが解散した後も誰かが続けてくれて、タムさんが始めた「雑フェス」がずっと続いてってくれたら最高ですね。
雑フェス T-shirts
Q7. 初めてバンドを組んだのはいつごろでどんなバンドでしたか?またバンド遍歴も教えて下さい。
A. 高校生の1番バンドとかに興味ある頃は周りにバンドする人が殆ど居なくて出来なかったですね…。
まぁ田舎すぎたってのが理由だったんですけど。それでも毎月「バンドやろうぜ」のメンバー募集の所をみて「もしかしたら」なんて思ってました。
仙台に出てきてからはたまにスタジオ入ったりする機会はあったんだけどライブする迄には至らなくて、ライブしても1回きりとか。なかなかバンドしてるって言える程ではありませんでした。その後は子供ができた事もあり、バンドよりも子育てに夢中になってたのでバンドする事は諦めてました。
バンドしようってまた思えたのは子供が2人とも小学校入ってからですかね。その当時、癌の闘病中だったお袋に「やりたい事があるならちゃんとやっておきなさい」って言われたのがずっと引っかかってて。それでcunnilingus vampire(以下クンニズ)時代のベースと職場の上司とでバンド始めたんです。
パートはドラムでした。初めはTHEE MICHELLE GUN ELEPHANTやBLANKEY JET CITYとかのコピーから始めて、徐々にオリジナルとかつくって、バンド名は3人ともパチンコ屋の店員だったんで「THREE IN A BET」意味は合ってないと思うけど、3枚がけみたいなバンド名で活動してました。
初ライブも出来てようやくバンドしてるなって思い始めた頃にメンバーが地元の青森に帰ってしまって活動休止状態…。「あぁ、またか。」なんて思ってました。
でもバンド熱はあったんで、自分で新しく始めようと思ってた時にハシケンの事思い出して、ハシケンは今でこそ面影が一切ないですが、当時めちゃくちゃ痩せてて、チリチリのパーマにスキニーパンツを履いて大体レコード屋かHMVの袋持ちながら、いかにも音楽好きそうな風貌だったんですよ。
それで声掛けたんです。「橋本君もし興味あったら、とりあえずスタジオとかで遊んでみない?」 2つ返事でOKしてきて、話すとあまり弾けないけどギター2本持ってるって言うんで結構期待したんですよね。それでスタジオ当日、赤白のフライングVを持って現れた橋本君に僕は更に期待が膨らんだんですよ。フライングVですからね!
ドラムのセッティングしてる間、あまり弾かない橋本君に「勿体ぶって」なんて思いながらもその日何やるかも決めてなかったんで、「じゃあ適当にリズム叩くからコード適当に合わせてみて」ドラム叩く俺、いっこうに弾かない橋本君…。「何だっ?」もう一度叩き始める…。弾かない……。「何なんだ?」嫌な予感がして恐る恐る聞くと「ギター弾けません」「おいっ!」ギター2本持ってて1本はフライングV???「なんで買った?」って思いました(笑)
スタジオはまだ1時間以上残ってる。どうしよう…。「橋本君ドラム叩いてみる?俺Fは抑えれるから」なんて馬鹿な会話でしょう。
思えばそこからPONKOTSUは始まってました。
流石にその日にバスドラまでは無理だったけど、何とかリズムは叩けて、こっちも適当に合わせようと3コードで合わせてたら自然とメロディが。「この木なんの木気になる木~」まさかの日立グループのCMソング。そんなんでも楽しかったんですよね。
それが2011年でした。ソコから何回かスタジオ入って遊んでたんですけど、癌の闘病をしてたお袋が死んでしまって…。
少し間は空いたんだけど2012年からまた遊び出して少しづつ曲つくってそこにクンニズのベースが合流してバンドがスタートしました。
クンニズでは名前のインパクトのおかげでバンド名も覚えてもらえて企画やったりデモ音源つくったり県外にライブしにいけたり。良かった事も沢山あったんですが、ベースの脱退と共に2016年5月解散…。
クンニズの最後の方にサポートでベースを弾いてくれていたスギちゃんと2016年6月BOODLEとして活動がはじまりました。
cunnilingus vampire
Q8. バンドを始めた頃の夢や目標はありましたか? また、現在の夢や目標はありますか?(音楽活動、またプライベートでも)
A. バンドを始めるのが夢みたいなところがあったんで夢なら叶ってるんでしょうね。
後はせっかくバンドやるなら夢中になって遊ぶってのが目標でした。
今後は、バンドでの目標は県外でライブもしたいですし、フルアルバムをつくりたいですね。
後は対バンしたいバンドがとにかく多いんで一緒にライブがしたいです。(今回10年かかってNavelとの対バンが叶いました。長かった。。。)
県外でBOODLE企画をするってのも最近目標にしてるので、雑フェスが無事終わったら動こうと思ってます。
レーベルでは『YAM』とのスプリットを実現する事ですね。
プライベートは、まだまだバンドでやりたい事が沢山あるのでとにかく健康に気をつける事です。
Game Is One Hour A DAY Vol.2 In SENDAI 2018
Q9. 人生においての重要な5曲(またはバンド、音源単位でも)を教えて下さい。その曲についての思い出やエピソードも教えて下さい。
A. 音楽には詳しくない方なので申し訳ないですが、自分の中で思い出深いバンド、曲、アルバムをあげたいと思います。
1. THEE MICHELLE GUN ELEPHANT / cult grass stars
高校生の時、学校でクラスメイトとCDを何枚か交換して最初に聴いたのがこのアルバムでした。
1曲目のトカゲのイントロで既になんぢゃこりゃ!かっこよ!ほかのCD聴かずにその日学校でずっと繰り返し聴いてました。とにかくチバユウスケの声にノックアウトされて、あとはその当時カッティングなんて言葉知らなかったんで「ボーカルもだけど、めっちゃギターがカシャカシャしててカッコイイね」なんて馬鹿丸出しな感想言ってましたね。
チバユウスケの影響で僕もがなって歌っていますがすっかり高音が出なくなってしまいました…。
2. リンドバーグ / BEREEVE IN LOVE
いつから好きなのか思い出せないくらいとにかくずっと好きです。
あの当時女の子は可愛く歌うもんだって感じの中で、渡瀬マキはショートカットにボーイッシュな格好で歌う。そんな姿に単純に「好きっ」てなってました。あれからジッタリンジン. CIGARETTEMAN. WATER CLOSET等、渡瀬マキの声質に似ているボーカルのバンドは無条件で好きです。
3. Green Day / Dookie
友達とボウリング場に遊びに行った時そこにあったジュークボックス(MVが観れるタイプのやつ)で洋楽知ってるふりしてたまたまかけたのがバスケットケースでした。
まぁ色々と言われる事はあるんでしょうが、曲が良いのは当然ですけど僕にはあのMVが斬新でカッコよくて、すぐCD屋に買いに行ったんですが、曲のタイトルも忘れてれば勿論アルバム名もわからない…。
結局店員に「Green Dayってバンドの頭のおかしな感じで歌ってるMVの曲が入ってるアルバム下さい」って言って手に入れました。
それでも通じる辺りがやっぱりGreen Dayの人気の凄さだったんですね。
4.シンディ・ローパー / The Goonies 'R'Good Enough
映画グーニーズの主題歌で有名な曲ですが、映画でこの曲が有名になったのか、それともこの曲のパワーで映画が有名になったのか、それぐらい映画&主題歌共に大好きです。
当時はテレビで放送したのを録画して擦り切れるくらい観てました。シンディ・ローパーも声が好きなんですよね。
因みに僕がハシケンと組んでいたcunnilingus vumpireでもこの曲をcoverしました。THEクンニーズ'R'Good Enough…。なんて酷いcoverタイトルでしょう。もしクンニズが解散してなかったらこの曲もどこかで音源に入っていたかもしれません。
5.ミュータントタートルズ / TEENAGE MUTANT NINJA TURTLES
好きなアニソンは?と聞かれたら間違いなくこの曲だと思います。
当時、衛生アニメ劇場でアニメ放送がされていて主題歌から見ないと気がすまないくらいこの曲が好きでした。
もちろんアニメ自体も面白いし、映画も全部観たし、ゲームも結構やった思い出があります。
部活が長引いて放送に間に合いそうにない時は「亀にエサあげなきゃ行けないので帰ります」って言ってました。
それから10数年経って仙台のCONVERSATION ZEROがライブでcoverしているのをみたとき、当時を思い出してテンションぶち上がってました。ぜひまたライブでやって欲しいです。
Q10. これまでに観たライブで特に印象深いライブを3つ挙げて下さい。思い出やエピソードも教えて下さい。
A.
1. THE BLUE HEARTS / THE BLUE HEARTS凸凹TOUR 1993/11/04 (木) 岩手県遠野市民センター
中学の時に、親父が当時こういったイベント事があるとよくボランティアスタッフをしていて、それで連れて行ってもらいました。
ステージの袖で椅子に座ってみながらの最初の印象は「この人達は絶対悪い人だっ」でした。
上半身裸のボーカル、頭にバンダナ巻いたギター(地元では頭に巻くのは手ぬぐいです)軍パン履いてるベース(地元で軍パン履くのは不審者か猟師)パイナップルヘアーのドラム(地元でそんな人がいたら話しかけたらいけません)それでもライブは凄く盛り上がってました。
娯楽の少ない町で祭りかって位ひとが集まっていて、そんなに広くもない空間の中で揉みくちゃになって。
みんな歌いながら拳をあげる異様な状況に飲み込まれて、いつの間にか僕も立って一緒に拳あげてました。
興奮のライブが終わり、袖にいた僕の横を通り過ぎていく悪い人達…。上半身裸のお兄ちゃんは「おっ!少年楽しかったか?」と言ってニヤッと笑っていました。
頭にバンダナ巻いたお兄ちゃんは何も言わずにボウズ頭の僕の頭をジョリジョリして帰っていきました。
僕にとって初めてのライブでバンドやりたいって思ったキッカケです。
2. The Birthday / WEEKEND LOVERS 2008/09/27(土) ZEPP SENDAI Live:The Birthday/Entity of Rude/ SHERBETS DJ:村上 淳
子供が生まれた事をキッカケにすっかりライブに行く機会が減っていたんですが、ミッシェルガンエレファントのライブを観れてなかったし、やっぱりチバユウスケの声を生で感じたいって事で行きました。
ライブ序盤はフロアの真ん中位に陣取ってましたが吸い込まれるように前の方に終盤の頃はほぼ最前列で泣きながら「チバ~!チバ~ッ!!」って叫んでました。
家に帰って風呂に入ろうとしたら全身アザだらけになってました。
3. FASTCARS / 日本酒パンクフェス 2014/01/04(土) SENDAI BIRDLAND
まだcunnilingus vampireを組んで間もない頃僕らも参加したこのイベントで初めてみたFASTCARS。
ステージで好き勝手に遊ぶコマさん&ジョニーさん。後ろからドラムでしっかり支えながらも、ちゃんと煽るサンチェさん。
「このバンド俺のしたい事全部してるッ」それまでチバユウスケだけだったマイヒーローが増えた瞬間でした。
今でもFASTCARSの様なライブするのが目標です。
Q11. これまでやってきた自身のライブで印象深いライブをいくつか教えて下さい。思い出やエピソードも教えて下さい。
A.
1. Project C ~The Final Chapter~ at 2016/05/28 STUDIO B/2 北目町 スタジオアンモナイト
BOODLE前身バンドcunnilingus vumpireのレコ発と解散ライブ。
ベースの脱退と共に解散を迎えたクンニズのラストライブ。
DETOUR . LITTLE FACTORIES . Desperdicio . BLACKENDER . ingri & the mommies . TASMANIANDEVIL NEVER DIE . The Checkmates という毎回しょっぱいライブを繰り返してたクンニズと仲良くしてくれた在仙の仲間に加え、当時初めましてながら出演してくれた青森のFATMAN SEMINARにも支えられ、予想外にも沢山集まってくれて最後にして最高のライブができました。
ライブが終わり、沢山の思い出と大量に余った音源の在庫をみて「コレどうすんの…」。。思い出深いライブです。
2. PUNK合宿GIG in 一里野 vol.4 2019/06/08 Cafe & Bar UNILA
STUPID PLOTS山口さんからの誘いでLITTLE FACTORIES . FASTCARS と僕ら BOODLE の3バンドで行った BOODLE 初の石川県でのライブ、「大人の修学旅行」をテーマにハイエースに大勢で乗って移動から楽しい1泊2日でした。
石川県一理野の最高の景色に流れる爆音のパンク。カッコよすぎる対バンのメンツに、山口さん達がつくるあのイベントの雰囲気に「いつか自分もこんな企画が出来たら」そう思った企画でした。
その後Vol.6にも参加させてもらってVol.7はコロナで中止でしたが、また再会の時を楽しみに待ってます。
その時は是非BOODLEも宜しくお願いします!!。
PUNK合宿GIG Vol.4
PUNK合宿GIG Vol.6
Q12. 読んでくれた皆さんにメッセージをよろしくお願いします。告知もありましたら!
A. この誰ともしれない僕の長々としたインタビューを最後まで読んで頂きありがとうございます。
このインタビューで僕ら BOODLE の事、そしてタムさんや雑フェスの事を少しでも知って興味を持ってもらえたらありがたいです。
9月3日(日)に「雑フェス再開前祭り!」9月9日(土)には、いよいよ「雑フェス」が再開します。
BOODLEにとって想いを込めたでかい企画です。1人でも多くの人と一緒に楽しめたら、みんなで乾杯できたら最高に嬉しいです。
今回このような機会を設けてくれた山口さんありがとうございました。
「雑フェス」前売り熱烈に受け付け中です。
TwitterアカウントにDMなどで気軽に予約してください。
PEPE YAMAMOTO Twitter : https://twitter.com/YamamotoPepe
BOODLE . cunnilingus vampire : CD Order → HERE
ハシケン氏 (BOODLE : Dr) インタビュー → HERE
■ SENDAI PONKOTSU POP PUNK BAND!! BOODLEPRESENTS!!
雑フェス前祭り『GAME IS ONE HOUR A DAY!!』
2023.9.3(日)
@北目B2スタジオアンモナイト
NOTNICE
BLACK ENDER
BOODLE
DJモス田モス蔵
DJ加藤ホーク
DJ Bill
OPEN14:00/START14:30 TICKET ¥ 1000
■ SENDAI PONKOTSU POP PUNK BAND!! BOODLE PRESENTS!!
『ZATSU FESTIVAL』
2023.9.9 (土)
@SENDAI BIRDLAND
Navel(名古屋)
ギョ・ビリーズ (東京)
bedgravity (東京)
PLUCK (東京)
GLITTERFAST (東京)
HOGPITS (東京)
for sibyl (札幌)
STUPID PLOTS (福井)
YAM (仙台)
BOODLE (仙台)
LIVE PAINT!! TAKUMA (GIGGLES)
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TICKET ADV¥2500+1drink DOOR¥3000+1drink